Monday, April 4

Suite Habana (永遠のハバナ)

フェルナンド・ペレス監督,2003年,キューバ=スペイン
渋谷ユーロスペースにて。

Cinema poster of "Suite Habana"

「1本のフィルムがすり切れるまで上映された…」という、いかにもなキャッチコピーにまんまと引っかかって観にいった。私は本当にこういうアナログ感たっぷりな攻めに弱い。

ハバナ。ヴィム・ヴェンダースの『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』で、生気にあふれる老ミュージシャンたちを通して描かれたノスタルジックな色合いのイメージが、私の唯一といってもいいキューバのイメージだった。あの映画も、ミュージシャンたち一人一人からそれぞれの人生の味が染み出してきているような、人間的な魅力にあふれたいい映画だ。


Cinema Poster of "Buena Vista Social Club"

『永遠のハバナ』も、ハバナという場所で毎日を生きている人々の姿を見つめた映画だ。12人の登場人物の一日が同時進行で描かれている。ナレーションはない。言葉で説明するのではなく、彼らの生活のディテールを目で追い、耳で聞く。ディテールのひとつひとつを丁寧に見つめることで、この映画で描かれた人々の生活にリアリティが出てくる。例えば、父親の食事の準備の手伝いをする男の子が、小さな体に不釣合いに大きなナイフを危なっかしげに使って、ゆっくり丁寧に野菜を刻む。最後まで切り終わって嬉しそうに顔を上げたとき、こういう日常の一つ一つがこの子にとってはまさに生きている毎日の証であることに、それが彼の父親のこのうえない喜びであることに強い実感がわくのだ。町の音、生活の音、音楽、話し声、会話、そして無言。音も彼らの生活の呼吸にあわせて聞こえてくる。じっと見つめているうちに、彼らと同じ空気を呼吸しているような感覚になる。

朽ち果てるままになっているヨーロッパ風の立派な建物の「残骸」とでもいうべき姿は、昔のフランス植民時代の名残が同じようになんの手入れもされない状態で残っているベトナム、ハノイを思わせる。同じようなノスタルジアと、そんなこと気にも留めないかのような人々の生活のエネルギーが、これらの町には共通して映し出されているように感じる。そしてハバナには、革命と自由への戦いへの思いが町に、人に強く染み付いている。町の中に何層にも積み重なって残っている歴史と人々の思い。その中で「今」を生きている人々の生活には、町そのものがめまぐるしく姿を変える東京ではなかなか感じられない、時間を積み重ねてきたハバナという「町」の存在感が常にある。

自分の生活が様々な思いであふれているのと同じように、ハバナの町で生きる一人一人の生活がそれぞれのドラマを持っていることを意識する。そして、町の中で登場人物の一人が別の一人とすれ違うのを見るとき、もう少し大きな視点から、人々の生活がつまっているハバナというひとつの町を意識する。この映画の視点は、パーソナルなレベルとコミューナルなレベルとを自然に行き来しながら、重層的に様々なレベルで共感をさそう。町とそこに住む人々を描いた映画は多々あるが、この映画は「場所としてのハバナ」「個人にとってのハバナ」、どちらの要素にも偏りすぎることなく、実にうまく自然に「人々の生きる場所、ハバナ」を描いていると思う。

ハバナという町の中に、自分のそれとは形や環境は違うながらも、同じように一日一日を生きる人々の毎日がある。気づいてみればシンプルで当たり前なその事実を、親しみと実感をもって描き出したこの映画は、とても印象深いものだった。見終わって2日たった今でも、ふとした瞬間に映画に出てきた誰かの一日の、何気ない一場面が頭をよぎることがある。彼らの毎日の嬉しさ、悲しさといったものが、一番パーソナルで基本的なところで自分と触れ合うような気がする、そんな特別な思いを感じさせる作品だ。

映画『永遠のハバナ』オフィシャルサイト:
http://www.action-inc.co.jp/suitehabana/