Wednesday, April 19

メイキング・オブ・これぞ暁斎!(3)展覧会の骨組み作り

Making of "This is Kyōsai!" (3)  The Exhibition's Structure and Chapters

Curator Molly

「これぞ暁斎!」展は、序章と「隠れ章」(春画)を含めて、8章で構成されている。
 ゴールドマン・コレクションをいかに紹介するかを考えたとき、1)コレクションの特徴を最もよく捉えて見せるということと、2)このコレクションが見せることのできる「暁斎」とは何なのかという、2つのフォーカスの仕方があった。その2つが重なるところに、「包括的」というポイントが見いだせる。ゴールドマン・コレクションは、暁斎の多彩な作品世界を見渡すことができる幅広さをもっている。それを分かりやすく、面白く見せようとして作ったのが、今回の展覧会の構成である。

序 章 出会い――ゴールドマン・コレクションの始まり
    The Origins of the Goldman Collection
第1章 万国飛――世界を飛び回った鴉たち
    Crows “Flying over Many Lands”
第2章 躍動するいのち――動物たちの世界
    Animal Life
第3章 幕末明治――転換期のざわめきとにぎわい
    The Bustling Era
第X章 笑う――人間と性
    Laughing with Kyōsai: Humanity and Sex
第4章 戯れる――福と笑いをもたらす守り神
    Lucky Gods and Protectors of the Home
第5章 百鬼繚乱――異界への誘い
    Demons and Spooks
第6章 祈る――仏と神仙、先人への尊崇
    Dieties and the Sacred

序章 出会い――ゴールドマン・コレクションの始まり
 展覧会への扉を開く最初の章では、暁斎の魅力をイジーの視点から紹介しようと考えた。イジーのお気に入りの作品から始めることで、どのようなコレクションであるかという感触を掴むと同時に、コレクションを作ったその人を身近に感じることができるようにしたかった。
「暁斎って楽しいでしょう?」―― イジー(イスラエル・ゴールドマン氏の愛称)が目を輝かせながら見せてくれるのは、表情豊かに生き生きと描かれた動物たちの絵である。暁斎が描く動物たちは、多くは愛らしく、時にいたずらで、ふとすると怖さも持ちあわせ、たいてい個性的で実に人間くさい。見ているとこちらも思わず口元がゆるんでしまう。 
 その様子を嬉しそうに見守っていたイジーが、待ちきれないように次の絵へと導く。牡丹の花を模した花笠をかぶった、あるいは鉢巻をしめた猫たちが、拍子木に合わせて木遣りを上げながら曳き物を引いている。「自分はどの猫だと思う?僕はね…これ!」高張り提灯に見立てて逆さに掲げた三味線を持って意気揚々と先頭を行く猫を指して、満面の笑みを浮かべる。 
 一緒に笑いながら、暁斎を楽しむ。ロンドン、ハムステッドの自宅で過ごす、至福のひとときである。…(図録より)
 この展覧会を訪れる人々が、あたかもイジーの自宅を訪れてイジーと一緒にこれらの絵を見ているような気になるように、そう意図して当章の解説も書いた。その部分が会場のパネルからはそっくりカットされてしまっていたのは残念としか言いようがない…。
 この部屋が展覧会の始まりにあることで、展覧会全体に個性を与え、また、コレクションそのもの、コレクターその人に親しみを覚えることができると考えた。

<第1章 万国飛――世界を飛び回った鴉たち>
 この章では、ゴールドマン・コレクションの鴉を一堂に集める。これは監修者の及川茂氏の夢であった。
 展覧会の玄関である「序章」をくぐり、最初に通される部屋として鴉の殿堂を置いたのは、ここで鑑賞者のフォーカスを切り換えるためでもあった。暁斎のシンボルである鴉の出迎えによって、再び人々の意識は暁斎自身に戻ってくる。
 「万国飛」は、暁斎の鴉が世界中に飛んでいくことを表す印章であるが、併せて19世紀後半の海外における暁斎の人気、時代背景として欧米における日本美術への関心などにも視野が広がる。英国への一時帰国に際してコンダーが暁斎に百枚の鴉の絵を注文したこと、ゴンクールが「暁斎の鴉」を比喩に使ったことなどがよい例である。
 そして、「鴉」を通して表現された、暁斎自身の画業に対する姿勢も大事なポイントになるだろう。

<第2章 躍動するいのち――動物たちの世界>
 イジーが暁斎の作品において最も愛するのが動物の絵である。ここから続くテーマ別の章立ての中で、点数も一番多い。鴉に集中した部屋から多様さに視点を移し、様々に描かれた動物たちの姿を楽しむことができる。暁斎の筆の巧みさ、その筆から生み出された絵にあふれる生命感が最大の魅力である。
 暁斎の動物たちは、人間のように着物を着ていてもそれぞれ動物らしさが失われておらず、その表情には野性味が感じられ、単純にかわいいだけではない。イジーは「愛らしくありながらも、感傷的ではない」として高く評価する。暁斎は対象に限りなく近づきながらも、感情的なレベルで自己を対象と完全に同一化してしまうことはない。その絶妙なバランスと距離感によって、動物に託して描く世界を広げてみせたと言えるだろう。

第3章 幕末明治――転換期のざわめきとにぎわい>
 この章には、暁斎が生きた時代を映し出す絵を選んだ。文明開化の世を生きる蛙たちと、明治のナマズ役人、芸者や遊女を表した猫たちが、動物を取り上げた前章とこの章をつないでいる。他に、日本に入ってきた西洋文化、外国人、書画会、歌舞伎などを描いた作品が含まれる。また、暁斎絵日記は、暁斎の生きた時代を彼の生活に即して生き生きと写し取った、たぐいまれな記録である。
 暁斎の作品の多くには、暁斎の「現代」、彼が生きた時代と社会が強く反映されている。コンテンポラリーな意味合いを読み解くことで、描かれた世界が具体的に立ち上がってくると、そこにはまた人間の普遍性が見えてくる。

第X章 笑う――人間と性
 第1、2章で動物たちを描いた作品、第3章で動物の表象を通して人間を描いた作品、また、人間そのものを描いた作品へと視点を移動させてきた。それに続き、第4章として人間臭さの極みである性を、とことん滑稽に、ときに微笑ましく描いた春画を取り上げる、という流れを私は考えていたのである。
 しかし、春画の問題は未だにすっきりとはいかず、取り上げない開催館もあるかもしれないということで、章番号を与えられずに別枠が設けられた。図録で春画を最後に置いたのは、全体の構成の意図とはかけ離れた処置である。Bunkamuraでは仕切りが設けられていはものの、展示の流れの途中に組み込まれていたことはよかった。
 滑稽さの中に人間の本質をつく暁斎の春画は、暁斎の画業を語るにおいて欠かすことのできない一分野である。ゴールドマン・コレクションほど、暁斎の春画作品が充実しているコレクションはない。
 ひとりの絵師の活動の中に、大きな全体の中の一部として春画を位置づけながら、正当な評価を与えた展覧会というのは、日本国内ではほとんどない。ゴールドマン・コレクションはそれが実現できる、数少ないコレクションである。そのことがもっと積極的に利用されてもよかったと感じる。

第4章 戯れる――福と笑いをもたらす守り神
 この章では、いわゆる「吉祥画」を中心に、七福神、鍾馗、大津絵といった、人々の日常の中で親しまれていた顔ぶれを取り上げる。前章で取り上げた春画も新年の縁起物として制作され、吉祥画のひとつと言うことができるだろう。
 暁斎が動物にパーソナリティを与え、ときには人間臭さを加えながら生き生きと描いたように、これらの伝統的なキャラクターたちも、暁斎の絵の中で新たな個性を与えられ、息をし始める。あふれる想像力とユーモア、自由自在な筆力によって、使い古された吉祥画のイメージの枠を簡単に飛び越えてしまう暁斎の才能をよく伝える分野である。

第5章 百鬼繚乱――異界への誘い>
 幽霊や妖怪など存在しないと言われ始めた明治時代においても、暁斎は幽霊や妖怪を描き続けた。暁斎にとっては、絵を描くということの意味そのものにも関わるテーマであったと言えるかもしれない。
「雷さまは太鼓を背負い、鬼は虎の皮のふんどしをしめているというのと同じように、幽霊の姿も想像から出たものであるので、何を真とし、何を虚とすべきかは分からない。それをいかにも恐ろし気に、きっとこんなだろうと思わせるように描くのが、妙手上手と言うものであろう」(『暁斎画談』)
とあるように、幽霊妖怪画も絵師としての暁斎の腕の見せどころであった。

第6章 祈る――仏と神仙、先人への尊崇>
 最後の章には、力強い達磨像を含む、神仏を描いた絵を集合させる。第4章と5章は、ともに人間世界ではない異界を描いた絵を扱うが、その2つは対極の世界である。妖怪たちが走り回る部屋で、楽しく気持ちを踊り回らせた後に、神仏を描いた、気持ちを一点に集中させる絵の前で、深呼吸をして終了に向かう――展覧会の締めとして、ふさわしいのではないかと考えた。
 精神的な題材を扱った作品は、近年イジーがより関心を寄せるようになった分野である。典型的な暁斎のイメージとは違う、しかし実際の暁斎の仕事の中では重要な一部であった宗教的作品、内省的作品で締めくるることで、この展覧会が提示する暁斎像をより立体的なものにすることができたと思う。

 この展覧会で実現しなかった章に、「ゴールドマン・コレクションの名品 Masterpieces from the Goldman Collection」がある。各テーマから代表作を選び、並べて展示することで豪華な共演を楽しむ部屋となるはずであった。テーマ別の章立ての中では他の同じ画題の作品と混ざってしまい、作品の本来の力が薄れてしまう作品もあるだろう。そのような作品に、ここで「スター作品」としての場所を与えることができると考えた。
 ここで選ばれるはずだった肉筆作品の他に、「プロのディーラーの目で選んだ浮世絵ベスト・セレクション」として、暁斎版画の傑作を並べた部屋も設けたかった。ここでも画題と関係なく、最高の状態の版画を共演させる。状態のよい摺りの版画が揃っていることは、ゴールドマン・コレクションの大きな特徴であり、注目すべき点である。

 しかし、名品は各章の見どころとしてそれぞれに取り込むことになり、また、版画作品も同様にテーマごとに分けられた。版画に関しては、展示数を大幅に減らさねばならなかったこと、今回の展覧会ではこれまでに世に出たことのない作品(となると、主に肉筆)の公開を優先させたこともあり、残念ながらこの案は叶わなかった。
 展覧会をまとめるには、諦めなければならないこと、方法を変えねばならないことも沢山出てくる。しかし、採用されなかったアイディアは逆に言うならば「新たな可能性」なのであり、次のプロジェクトへと展開していく「種」となりうるのである。

Friday, April 14

メイキング・オブ・これぞ暁斎!(2)タイトル「This is Kyōsai!」の話

Making of "This Is Kyōsai!" (2) : Story of "This is Kyōsai!"



タイトルというのはいつも難しいものである。ありきたりの文句、使い古された言葉を避けて、新鮮な響きをもったものにしたい。展覧会の内容を伝えるものであると同時に、企画者としてのメッセージを込めたいものである。


「これぞ暁斎!」というタイトルに、まさにそのとおりとうなずいた人も、これは違うだろうと思った人も、「ふーん?」とながした人もいるだろうが、実は「This is Kyōsai!」という英語の題が先で、日本語題はその訳としてできたものである。
タイトルの直接のインスピレーションとなったのは、オーストラリア出身の画家モーティマー・メンプス(Mortimer Menpes, 1855~1938 ※註)が語った、暁斎にまつわるエピソードである。

メンプスは1887年(明治20年)に日本を訪れ、暁斎に面会し、絵の描き方について会話を交わしている。そのメンプスの回想録にこんな話が残されている。

メンプスがある公使館で開かれたパーティーに参加したときのこと、十数人の絵師が画技を披露するために招待されており、その一人に暁斎がいた。
品位と尊敬を欠いたその場の雰囲気に、暁斎は苛立ちを抑えきれずにいた。絵を描いてもらいたい主催者は、暁斎に次から次に酒を飲ませたが、完全に腹を立てている暁斎は一向に筆を取ろうとしない。客人たちは酔いつぶれてしまう前にと、必死で暁斎に揮毫してくれるよう頼み込む。

暁斎は理解の欠片も見られない観客たちへの怒りを沸騰させつつ身を起こし、膝をついて絹地に向かった。親指を外に反らせて、他のすべての指を巻きつけるようにして筆をつかみ、身動きせず絹地をにらんだ。まっさらな絹の画面に、これから現れる絵を見ているのである。そして、次の瞬間、見事な筆さばきで飛びゆく鴉の一群を描き出してみせた。

肢体を震わせながら誇らしげに立ち上がると、筆を床に打ち捨て、観客に向かって絹地を押しやった。そして、「これが暁斎だ(That is Kiyosai)」と言うと、うんざりした様子で部屋を出ていった。
威厳ある絵師の気迫に皆が圧倒されていた。その力に引かれない者はなかった。たった今そこに達人がいたことを誰もが思い知らされたのである。

(Mortimer Menpes, Japan: A Record in Colour, London: Adam & Charles Black, 1901 より、要訳。)

"That is Kyōsai" をその文脈から抜き出してしまうと、"that"(それ)とは何なのかがよく分からなくなってしまうので、そのまま使うことはできない。そのため、単独でいける "This is Kyōsai" で「これが暁斎だ」にした。
しかし、「これが暁斎だ」ではタイトルとしていまいちゴロがよくない。
「これこそ暁斎」、いや、もうひとつ…とやっているうちに、「これぞ暁斎!」に落ち着いた。

「これぞ」という力のこもった表現には、これこそが私たちが愛する暁斎なんだという、コレクター、イジーの思いと、そのコレクションに共鳴する私の思いが重なっている。「これがすべてで、これ以外のものではない」という排他的な考えではなく、これまでほとんどの人が目にしてこなかったこれら多数の作品が、すでに親しまれている代表作と並んで開く新しい暁斎像、より豊かな暁斎の世界への招待である。
そして、暁斎の幅広い画業を網羅的に見せることができるゴールドマン・コレクションであるからこそ、さらにはイジーのチャーミングな人柄があってこそ、付け得たタイトルでもあった。

各会場を訪れる人には、大きな笑顔で嬉しそうに「This is Kyōsai!」と言って両手を広げるイジーに迎え入れられるような気持ちで展覧会を見てもらえたら嬉しい。


※註)Menpes という名の読みには「メンプス」「メンペス」「メンピス」など複数説あるが、Menpes のお墓があるイギリスのパンボーン(Pangbourne)出身のタイモン(・スクリーチ)によると、パンボーンでは皆「メンプス」と言うという。

Monday, April 10

メイキング・オブ・これぞ暁斎!(1)イジーとの出会い

Making of "This Is Kyōsai!" (1) : The Beginning of a Beautiful Friendship

 イジー(イスラエル・ゴールドマン)に初めて会ったのは 20101月。大学院で暁斎研究を始めて3年目のことである。イギリス全土が真っ白に凍った寒い冬の一日、ロンドンを訪ねていた私に、ニコル(・ルマニエール)が突然、「今日、これからイジー・ゴールドマンの家に行きましょう」と告げた。ゴールドマンと言えば世界屈指の暁斎コレクター、「あの作品も、この作品も…」と、画集で見てきたゴールドマン・コレクションの数々が頭の中を駆け巡った。何のおみやげもなしで…とためらう私に、「大丈夫、心配することは何もないよ」と、ニコルが大きな笑顔を向けた。
 ロンドンを見下ろす丘の上、ハムステッドの閑静な住宅街にイジーの住まいはあった。「Hi!」と出迎えてくれたイジーは、紫のカーディガンを着て、薄茶の丸縁の眼鏡が、眉と口ひげの間に上品に乗っている。丸い顔にキラキラした好奇心いっぱいの目をして、大きく口を開けて明るく笑った。
 通されたリビングの、温かみのある薄黄色の壁には、いたずらな目をした愛嬌たっぷりの虎の絵や、洒脱な筆さばきで描かれたネズミやコウモリの絵がかけられていた。イジーと共に暮す、南嶺の虎、是真のネズミとコウモリである。部屋の反対側には、頭を体にうずめて休む鶴と、丸い体を膨らませた兎の香炉が、居心地良さそうに座っている。

 私の目は素早く暁斎を探す。正面の壁の中央に、目を閉じ、笑みを浮かべたような表情で岩の上に眠る猫がいる。余裕に満ちた満足げな面持ちで、誰にもおびやかされない己の自由を楽しむ、暁斎の猫である。いい家を見つけたねぇと、つい話しかけたくなる。
 美術書であふれる本棚に囲まれた部屋に入ると、奥に、大きく目を見開き、ふわふわの体を柔らかくひねって何かをのぞきこんでいる虎がいる。「この絵に描かれているのは何だと思う?」と、イジーがいたずらっぽく微笑みながら私に尋ねた。虎の目線の先には、ぼかしたような墨の跡。よく見ると、その墨の染みの中に目が二つ。「あぁ、虎が水面に映った自分の顔を見ているんだね!」と答えた私に、イジーは「テスト合格!」と言って嬉しそうに笑った。
 イジーは暁斎の蛙の絵がプリントされたマグカップでお茶を出してくれ、2002年に太田記念美術館で開かれたゴールドマン・コレクション展の図録をプレゼントしてくれた。サインをお願いすると、照れながらもメッセージを添えてくれた。

I hope this will be the beginning of a beautiful friendship!」
(これが美しい友情の始まりとなりますよう!)(※)

 以来、イジーが東京に訪れるときには会うようになり、新しい作品を買うたびに見せてもらうようになった。ロンドンに長期滞在をしてゴールドマン・コレクションの調査をする計画を立て、2011年から1年間、大英博物館に寄託されているゴールドマン・コレクションの調査と整理、目録作りを行った。寝ても覚めても暁斎浸けの幸せな日々であった。
 ロンドンでの1年が終わり、東京に戻ってからも、また、2013年から2015年までアメリカに住んだ間も、イジーとの連絡は緊密に保ち、ゴールドマン・コレクションには関わり続けた。
 私が2011年にロジーナ(・バックランド)からコレクションの整理を引き継いだとき、目録番号は450番あたりまであった。現在は760番を超え、この6年半の間にいかにコレクションが成長したかを物語っている。
 その間、ティム(・クラーク)を含むその他数人を除けば、イジーと私でこれらの暁斎作品を独占的に楽しんでいたに等しい。時たま12点、すでに知られている作品を展覧会に貸し出したり、出版物に図版掲載を許可する他は、私が研究の成果を論文や口頭で発表する以外、ゴールドマン・コレクションが外に出ることはあまりなかった。出してくれ、見せてくれという要求もほとんどないに等しかったのである。
 しかし、年々充実さを増していくコレクションの成長ぶりを見ながら、イジーは「機は熟した」という思いを強めていた。自分のコレクションだけで暁斎展ができる。代表作のみならず、今まで人々が見たことのない初公開作品でいっぱいの、新しい暁斎展ができるという確信を、イジーも私も深めていった。

 ちょうどその頃、2013年の初めに、東京新聞が暁斎展をやりたいと考えているという話がイジーのもとにもたらされた。ここから、私たちはそのことを念頭に準備を始める。あらかじめ作った作品のセレクションは、改編を繰り返しながら、徐々に最終的な案へと絞られていった。私は2016年初夏に再び渡英し、大英博物館の客員研究員となって、ロンドンで展覧会の準備を進めた。
 同時に、ゴールドマン・コレクションにある暁斎の春画作品すべて網羅した本を、展覧会に合わせて出版することになった。これは2013年の大英博物館の春画展以来、イジーと私でやりたいと話をしていたプロジェクトであった。今回の展覧会に春画を出品できるか分からない時期がしばらく続いたことが直接の契機となり、実際にプロジェクトが動き始めた。春画および西川祐信の研究者で友人の石上阿希さんに共著者になってもらい、幅広い視点から暁斎の春画に取り組む本を目指した。

 展覧会が開催となり、春画の本も無事上梓された今、イジーと私はほっと一息つくと同時に、新たなプロジェクトのアイディア、可能性に心躍らせている。杯を交わすときには必ず、私たちを魅了し続ける暁斎への挨拶を忘れない。

「暁斎に乾杯!」


(※)映画「カサブランカ」からの引用。

イジーとモリーを囲んで、『暁斎春画』の著者二人(定村来人と石上阿希)。