大英博物館に潜る(その2)
次々と出てくる貴重品にうならされっぱなしの見学隊に囲まれながら、クラーク氏はひとまず応挙の屏風をしまい、そして掛け物をいくつか取り出し始めた。壁にかけられる極彩色の掛け物に、再び見学隊の感嘆の声がもれる。そこには、北斎の「流水に鴨図」に「鎮西八郎為朝図」、そして暁斎先生の「龍を退治する素戔鳴尊(すさのおのみこと)」が並んでいた。
クラーク氏は1993-4年に大英博物館で「Demon of Painting」と題した河鍋暁斎の展覧会を開いている。大英博物館は、明治に日本に滞在していたイギリス人医師ウィリアム・アンダーソンのコレクションも含め、暁斎の作品をずいぶん所有していると聞く。この絹地に彩色された肉筆画「龍を退治する素戔鳴尊」は、暁斎の画集にも度々登場する代表的な作品のひとつだ。もともと、明治時代に建築家として日本に住み、暁斎の弟子でもあったジョサイア・コンダーのコレクションにあったものだ。
神話という題材や様式化された自然物の表現にも関わらず、どこか自然主義的・・・と言っては誤解を招くかもしれないが、不思議と違和感のないまとまり、調和が画面全体にある。色は地味におさえられて墨の濃淡表現や線描写と自然に混ざり合い、スサノオを中心に描かれているのは間違いないのだが、画面全体でひとつの風景を描き出しているような感じもする。それは描き込まれたディテールの説得力と全体の調和のバランスからくる印象なのだと思うが、そこには単にある説話をテーマとした絵という以外の、暁斎の表現における関心が見えている気がする。
ここでは「主題」と「物語を語るための演出装置としての背景」という、背景が主題に従属する関係というよりも、シーン全体のリアリティと構図のダイナミズムが暁斎の関心になっているのではないだろうか。むしろスサノオと龍というテーマのほうが全体の中の一部に過ぎず、この画面全体のドラマチックな動きに理由を与えるために置かれているようにすら思えてくる。
吹き降ろす強風、しなる木の幹、荒れ狂う激流、岩の斜面、スサノオの前のめりの姿勢に、彼に向かって波を叩きつける龍という、縦長の画面いっぱいに幾つもの対角線をえがくジグザグの動きがある。その画面全体の躍動感に加え、波のしぶき、風に煽られる木の枝々といったディテールも、動きと緊張感にあふれている。つまりここでは画面全体が一体となって動いているのだ。龍が水中から覗くかたちで水と同化してスサノオに対峙していることから見ても、荒れ狂う風と水という自然に取り囲まれて一人剣を振りかざすスサノオは、この自然界全体を相手に、無謀とも思える孤独な戦いを挑んでいるのである。
河鍋暁斎《龍を退治する素戔鳴尊》明治20年/1887(100.1×29.7cm)
余白による空間表現でもなく、極彩色の花鳥図のようにディテールで背景をびっしりと埋め尽くす。しかし花鳥画のように画面を飾るだけに止まらず、そのディテールひとつひとつが息をし、画面全体で物語を語り、動かしている。狩野派の伝統や技術を受け継ぎながら、形式化した風景や構図にとどまることなく、絶えず新しい表現に挑戦し続けた暁斎を見ることができる作品であると思う。
次に並んだのは、暁斎の作品二点と、暁英すなわちコンダーが師匠暁斎の手本に従って描いた「木莬(みみずく)」だった。その中で他を圧倒して異様な存在感を放っていたのが、暁斎の「幽霊図」である。暁斎の幽霊を生で見ることができるなんて!その瞬間、その日最大の脈拍数を記録したことは間違いない。興奮、そして背筋に寒気がはしるくらいの絵の凄みによってである。
ゆらりと立ち上がる女の幽霊は片手に男の生首をつかみ、もう片方の手で長く乱れた自分の髪を引っ張るようにしている。大きく口を開け、焦点の定まらない目をし、はだけた着物から骸骨のようにやせ細った体をのぞかせている。振り返って体を弓なりに反らせているが、この後どっちに動くのか分からないようなこの姿勢が、見るものの不安と緊張感を募らせる。かすかな白いもやのような空気に包まれて冷たい光を放ちながら、狂気の世界を彷徨う幽霊の姿にはゾッとさせられる。
絵の左下には、金で梵字が一字書き込まれている。この絵とともに保存されているお札のようなものにも梵字が書かれ、どうやらこの幽霊が絵の額から出てこないようにという、封じ込めのまじないのようだ。その本気さが怖い。コンダーコレクションの中には他にも暁斎の幽霊図があり、絵の中に描かれた表装から幽霊が出てきてしまっているように描かれたものもある。絵がそれだけの真実味を帯びるほど、力のこもった作品である。
河鍋暁斎《幽霊図》明治4~22年/1871~1889(106.3×37.7cm)
(その3に続く。)
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