メイキング・オブ・これぞ暁斎!(2)タイトル「This is Kyōsai!」の話
Making of "This Is Kyōsai!" (2) : Story of "This is Kyōsai!"
タイトルというのはいつも難しいものである。ありきたりの文句、使い古された言葉を避けて、新鮮な響きをもったものにしたい。展覧会の内容を伝えるものであると同時に、企画者としてのメッセージを込めたいものである。
「これぞ暁斎!」というタイトルに、まさにそのとおりとうなずいた人も、これは違うだろうと思った人も、「ふーん?」とながした人もいるだろうが、実は「This is Kyōsai!」という英語の題が先で、日本語題はその訳としてできたものである。
タイトルの直接のインスピレーションとなったのは、オーストラリア出身の画家モーティマー・メンプス(Mortimer Menpes, 1855~1938 ※註)が語った、暁斎にまつわるエピソードである。
メンプスは1887年(明治20年)に日本を訪れ、暁斎に面会し、絵の描き方について会話を交わしている。そのメンプスの回想録にこんな話が残されている。
メンプスがある公使館で開かれたパーティーに参加したときのこと、十数人の絵師が画技を披露するために招待されており、その一人に暁斎がいた。
品位と尊敬を欠いたその場の雰囲気に、暁斎は苛立ちを抑えきれずにいた。絵を描いてもらいたい主催者は、暁斎に次から次に酒を飲ませたが、完全に腹を立てている暁斎は一向に筆を取ろうとしない。客人たちは酔いつぶれてしまう前にと、必死で暁斎に揮毫してくれるよう頼み込む。
暁斎は理解の欠片も見られない観客たちへの怒りを沸騰させつつ身を起こし、膝をついて絹地に向かった。親指を外に反らせて、他のすべての指を巻きつけるようにして筆をつかみ、身動きせず絹地をにらんだ。まっさらな絹の画面に、これから現れる絵を見ているのである。そして、次の瞬間、見事な筆さばきで飛びゆく鴉の一群を描き出してみせた。
肢体を震わせながら誇らしげに立ち上がると、筆を床に打ち捨て、観客に向かって絹地を押しやった。そして、「これが暁斎だ(That is Kiyosai)」と言うと、うんざりした様子で部屋を出ていった。
威厳ある絵師の気迫に皆が圧倒されていた。その力に引かれない者はなかった。たった今そこに達人がいたことを誰もが思い知らされたのである。
(Mortimer Menpes, Japan: A Record in Colour, London: Adam & Charles Black, 1901 より、要訳。)
"That is Kyōsai" をその文脈から抜き出してしまうと、"that"(それ)とは何なのかがよく分からなくなってしまうので、そのまま使うことはできない。そのため、単独でいける "This is Kyōsai" で「これが暁斎だ」にした。
しかし、「これが暁斎だ」ではタイトルとしていまいちゴロがよくない。
「これこそ暁斎」、いや、もうひとつ…とやっているうちに、「これぞ暁斎!」に落ち着いた。
「これぞ」という力のこもった表現には、これこそが私たちが愛する暁斎なんだという、コレクター、イジーの思いと、そのコレクションに共鳴する私の思いが重なっている。「これがすべてで、これ以外のものではない」という排他的な考えではなく、これまでほとんどの人が目にしてこなかったこれら多数の作品が、すでに親しまれている代表作と並んで開く新しい暁斎像、より豊かな暁斎の世界への招待である。
そして、暁斎の幅広い画業を網羅的に見せることができるゴールドマン・コレクションであるからこそ、さらにはイジーのチャーミングな人柄があってこそ、付け得たタイトルでもあった。
各会場を訪れる人には、大きな笑顔で嬉しそうに「This is Kyōsai!」と言って両手を広げるイジーに迎え入れられるような気持ちで展覧会を見てもらえたら嬉しい。
※註)Menpes という名の読みには「メンプス」「メンペス」「メンピス」など複数説あるが、Menpes のお墓があるイギリスのパンボーン(Pangbourne)出身のタイモン(・スクリーチ)によると、パンボーンでは皆「メンプス」と言うという。
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