Saturday, April 21

Chapelle St-Blaise des Simples de Cocouteau (コクトーのシャペル・サン・ブレーズ・デ・サンプル)

Milly-la-Fôret


この中世の小さなチャペル、Chapelle St-Blaise des Simples (シャペル・サン・ブレーズ・デ・サンプル)には、ジャン・コクトーが眠っている。 コクトーが晩年までの17年間を過ごしたMilly-la-Fôret(ミリー・ラ・フォレ)という小さな村にあるこの12世紀の石造りのチャペルは、もともとライ病患者の医療施設付属の礼拝堂だったという。それをコクトーが気に入って内装を手がけ、自らの墓とした。 チャペルの入り口を入ると祭壇の前の床にコクトーの墓石がある。右下に軽やかなコクトーの筆跡で、彼の言葉が刻まれている。「Je reste avec vous.(私はあなた方とともにいる。)」この空間はまさにその言葉のもつ“intimité(親密さ)”に満ちている。


礼拝堂内は、端から端まで縦横ともに4,5歩で歩けてしまうくらいの小さな空間で、コクトーの手によるステンドグラスから差し込む淡い光と小さな照明のみに照らされている。その薄暗い光の中、コクトーによって描かれたベラドンナ、カノコソウ、タチアオイ、アルニカ、キンポウゲ、イヌサフラン、トリカブトといった様々な薬草植物が、祭壇を前にして左右後ろの壁を上へ上へと伸びている。林立する巨大な、しかし柔らかい色使いで優雅に描かれた植物に取り囲まれていると、空間の大きさや自分の縮尺が非現実的に思えてきて不思議な感じだ。

チャペルの名前にもある“Simples(サンプル)”とはフランス語で薬草のことを指し、4世紀に薬草で病人や動物たちを治療したというSt-Blaise(聖ブレーズ)にちなんだ、この病院の礼拝堂の起原を伝えている。ミリー・ラ・フォレは薬草栽培でも知られているらしく、入り口のドアのまわりの壁には(礼拝堂にあった説明によると)“有名な”「Menthe de Milly(ミリーのミント)」が“M”の頭文字とともに描かれている。チャペルの庭も薬草庭園となっている。


人がチャペルの中にはいると軽やかなパッヘルベルのカノンが静かに鳴り始め、続いてゆっくりと低く響くジャン・マレの声が音楽に重なる。コクトーを“le maître(師)”と呼びながら、尊敬をこめて語るジャン・マレの雰囲気たっぷりな声の響きは、フランス語の美しさを今一度意識させ、またコクトーが愛した“美”の化身のような存在であっただろうジャン・マレの、コクトー世界における存在の大きさにも気付かされる。

前方の祭壇には、コクトー独特の線によるキリスト受難の図が、ローマの兵士たちの姿とともに描かれている。血を流すキリストの絵であるのに、暗く重っ苦しくならないのがコクトーだ。丸い粒となって滴る血の玉は、振り子のように左右に振れながらお互いにぶつかって、チリンポリンと軽やかな音を立てそうにすら思える。右手には彫刻によるコクトーの肖像が飾られていた。クセの強い気難しそうな尖った顔。彼の隙のない的確さで描き出される魅力的な線に、何度舌を巻くような思いをさせられたことか。


入り口の壁の右下にコクトーの猫がいて、その脚の間には彼のサインが書かれている。このチャペルもコクトーの作品、言い換えれば自身の死という最もパーソナルな事柄を表現し包み込む空間の、コクトーによる徹底した演出であり、彼の美意識の結晶のようなモニュメントとなっている。


ちなみにMilly-la-Fôretへ行くのは、車がない場合にはなかなかに厄介だ。パリから約1時間、電車RER(郊外線)でMaisse(メス)まで行き、ここからはタクシーで行くしかない。しかし駅前にタクシーが止まっているということは無いに等しいようで、電話で頼まなければならない。私たちは駅前のレストラン・カフェに入りタクシーを呼んでくれるように頼んだが、なんとタクシーはすべてパリのほうに出払ってしまっているという。「うーん、困った」と顔を見合わせていると、親切にもそのお店の人が車で連れて行ってくれると言ってくれた。車さえあれば、5分ほどで着いてしまう。帰りのタクシーは、お昼を食べたMilly-la-Fôretのレストランで時間を指定してあらかじめ頼んでおいてもらった。

チャペルが開いている時間、曜日、時期もあるので、しっかり調べていったほうがいい。しかしそんなふうだからこそ、「見たいなぁ、見たいなぁ」と思いながらも冬が終わって明るく暖かい日が来るのを待ち、やっと見ることができた時の嬉しさもまたひとしおであったと言える。

Sunday, April 15

Tapisserie de Bayeux (バイユーのタピストリー)

Bayeux, Normandie


リヨンに留学する2年半ほど前から、フランスにまた行くことがあったら絶対絶対見に行ってやる、と思っていたものがあった。2005年10月の終わりに、最初の休暇(Toussaint:万聖節)を利用して、さっそくその願いを実現する。翌年には遊びに来た両親にお供するかたちで、再びそれを目にすることができた。北フランスの海岸沿い、ノルマンディーの小さな町バイユー(Bayeux)にある宝物。それは「王妃マチルダのタピストリー」または「バイユーのタピストリー」として知られる、中世・11世紀の刺繍による芸術遺産だ。
The Tapestry Museum in Bayeux

私がこのタピストリーと出会ったのは、ゴンブリッチ(E. H. Gombrich)のThe Story of Art(p.168, Phaidon, 1995)の中に使われていた図版を見たときだった。草木染であろうと思われる落ち着いた鮮やかさの黄、緑、赤茶が織り成す物語。布の上に柔らかくゆがんではしる、味わいのある線。たった二枚の図版だったが、その魅力的な活力あふれる表現は、宗教美術に支配されているかのような中世美術のイメージを打ち破るのには十分だった。それ以来すっかりとりこになって、ロンドン留学中にも本を探してまわり、結局Thames & Hudsonから出ている、全場面を収めた大きなハードカバーの画集を買って帰ったのであった。しかし、絵巻のようなこのタピストリーは幅50cmで70mの長さがあり、ページごとに場面を切っている本のかたちではやはり印象が違う。さらに、すべてが均一な平面になってしまう印刷では色、質感ともに再現に限界があるので、どうしても現物を見たかったのである。

パリから電車で2時間半。バイユーの鉄道駅は町のはずれにあり、人もまばらだ。D-DAY(ノルマンディー上陸作戦があった日)の時期には、年配のアメリカ人やイギリス人たちがD-DAYツアーを組んでやってくるが、それ以外の観光客はこの有名なタピストリーを見にやってくるのであろう。タピストリー美術館は混んではいないが、いつも人が入っている。時には学校から見学で来ている子どもたちと一緒に、描かれている物語を説明してくれるオーディオガイドを手に、タピストリーの部屋に入ることになる。


部屋はぐるりとU字型をしており、内側の壁に沿ってターンしながらタピストリーが展示されている。薄暗い部屋に足を踏み入れ、色彩あふれる絵物語が長く先へ先へと続いていく始まりに立っていることが分かると、「いよいよです」と心のどこかで声が響き、胸のドキドキも否応なく高まる。時は中世、1064年。イングランドのエドワード王が、ノルマンディー公のウィリアムのもとに、義理の兄弟ハロルドを送り込む。それはウィリアムを自分の後継者とすると告げるためであったが、2年後の1066年1月にエドワードが死ぬと、ハロルドが誓いを破って自らをイングランドの王としてしまう。そこでウィリアムは軍を準備し、裏切ったハロルドを討つためにイングランドへと侵攻するのである。同年10月にウィリアムの軍勢はハロルドの軍を破り(ヘイスティングズの戦い)、ウィリアムは「征服王」としてその名を歴史に留めることとなった。

タピストリーにはハロルドのノルマンディーにやってくるところから、ウィリアムが軍を準備し、海を越えてイングランドに渡る様子、戦いが始まり激しさを増して、ウィリアムの勝利までが描かれる。フンデルトヴァッサーの建築の完成予想図みたいな楽しい建物(お城?)の上で、神様の手がにょきっと空から生えていたり(上・右)、人間と建物のサイズがどう見てもおかしかったり、写実的表現ではまったくない。しかし描写は細かく多岐にわたっており、話の中心である戦いのシーンばかりでなく、食事を取り仕事をする人々の生活の様子や、不吉なサインと考えられた1066年のハレー彗星の出現も記録されている。 布の上の刺繍のモコモコした感じが温かく、上品で落ち着いた色使いはなんとも洗練されていて味わい深い。大型絵本のような縦幅が親しみやすさを生んでいる。


なによりも感嘆するのが、「物語を語る絵」としての表現である。特に戦いの場面の表現は見事としか言いようがなく、画面構成の効果を最大に活かして物語を見せている。その見る人を物語りに引き込む、戦のシーンのスピード感はとにかくすごい。それは出陣のシーン(上図)に最もよく表れているのだが、空間の取り方によって生み出されている。右手の密集した騎士団の塊から、馬が走り出ていく。前に進むにつれて馬と馬の間隔が広がり、スピードが速まっていく感じが見事に伝わってくる。その前進する勢いを槍という小道具で上手く高めていて、集団のところでは整然と縦上方向に突き出ていたものが、馬たちが間隔をあけて走り出てゆくにつれて徐々に前方へと傾き、そのまっすぐと前に伸びるラインによって前進する方向性とスピードを強調する。 先に進むと逆向きの馬が一頭現れて流れを止めており、ここでいったん区切りをつけ、別の場面へと移行することが分かるのである。

変化にあふれる画面は、その色使いによっても効果をあげている。限られた色数ながら、輪郭線、ベタ塗りに上手く使い分け、前後左右の関係もはっきりさせている。その品のある色彩は単純に見た目にも楽しく、このタピストリーをいっそう愛着のわくものにしている。また、味わい深い線で描かれた絵そのものも動きにあふれており、シンプルな表現がまっすぐに胸を打つ。戦が激しさを増し、兵士も馬ももんどりうって倒れてゆく。振り下ろされた一太刀に崩れ落ちる兵士の、その瞬間を捉えたシーンは真に迫ってショッキングですらある(下図)。その説得力のある表現は、視覚的リアリズムに捕らわれない絵画表現の可能性を堂々と示していて感動的だ。


この横に長いタピストリーは三段構成になっており、メインストーリーが展開する真ん中の一番太いラインを挟んで、上と下に細いコマが続いている。この脇の上段下段には、装飾的に動植物が描かれていたり補足的なイメージが描かれていたりするが、戦いのシーンでは(特に下段が)中心部で展開される出来事と密接な関係にありながら、別の世界に当てられている。すなわち「死」だ。崩れ落ちる兵士たちや馬たちが下のコマに落ちてゆく。下段のラインを越えることで、彼らは死の世界に入るのだ。


画面構成の妙、色彩の美、表現の豊かさ、どれをとってもイメージによるストーリー・テリングとして、傑作という言葉がふさわしい。その説得力のある表現と作品としての美しさに、「イラストレーションの原点を見た!」という感動で胸をいっぱいにしながら帰路に着いた。帰り道の電車で、興奮冷めらやぬまま美術館で買った大型はがきに小さな字でびっしりと感想を書きつけていると、隣に座っていたご婦人が降り際に、「私には読めないけど、とてもきれいな文字ね」と声をかけてくれた。なんだか嬉しいおまけ付きの日帰りの旅となった。