Chapelle St-Blaise des Simples de Cocouteau (コクトーのシャペル・サン・ブレーズ・デ・サンプル)
Milly-la-Fôret
この中世の小さなチャペル、Chapelle St-Blaise des Simples (シャペル・サン・ブレーズ・デ・サンプル)には、ジャン・コクトーが眠っている。 コクトーが晩年までの17年間を過ごしたMilly-la-Fôret(ミリー・ラ・フォレ)という小さな村にあるこの12世紀の石造りのチャペルは、もともとライ病患者の医療施設付属の礼拝堂だったという。それをコクトーが気に入って内装を手がけ、自らの墓とした。 チャペルの入り口を入ると祭壇の前の床にコクトーの墓石がある。右下に軽やかなコクトーの筆跡で、彼の言葉が刻まれている。「Je reste avec vous.(私はあなた方とともにいる。)」この空間はまさにその言葉のもつ“intimité(親密さ)”に満ちている。
礼拝堂内は、端から端まで縦横ともに4,5歩で歩けてしまうくらいの小さな空間で、コクトーの手によるステンドグラスから差し込む淡い光と小さな照明のみに照らされている。その薄暗い光の中、コクトーによって描かれたベラドンナ、カノコソウ、タチアオイ、アルニカ、キンポウゲ、イヌサフラン、トリカブトといった様々な薬草植物が、祭壇を前にして左右後ろの壁を上へ上へと伸びている。林立する巨大な、しかし柔らかい色使いで優雅に描かれた植物に取り囲まれていると、空間の大きさや自分の縮尺が非現実的に思えてきて不思議な感じだ。
チャペルの名前にもある“Simples(サンプル)”とはフランス語で薬草のことを指し、4世紀に薬草で病人や動物たちを治療したというSt-Blaise(聖ブレーズ)にちなんだ、この病院の礼拝堂の起原を伝えている。ミリー・ラ・フォレは薬草栽培でも知られているらしく、入り口のドアのまわりの壁には(礼拝堂にあった説明によると)“有名な”「Menthe de Milly(ミリーのミント)」が“M”の頭文字とともに描かれている。チャペルの庭も薬草庭園となっている。
人がチャペルの中にはいると軽やかなパッヘルベルのカノンが静かに鳴り始め、続いてゆっくりと低く響くジャン・マレの声が音楽に重なる。コクトーを“le maître(師)”と呼びながら、尊敬をこめて語るジャン・マレの雰囲気たっぷりな声の響きは、フランス語の美しさを今一度意識させ、またコクトーが愛した“美”の化身のような存在であっただろうジャン・マレの、コクトー世界における存在の大きさにも気付かされる。
前方の祭壇には、コクトー独特の線によるキリスト受難の図が、ローマの兵士たちの姿とともに描かれている。血を流すキリストの絵であるのに、暗く重っ苦しくならないのがコクトーだ。丸い粒となって滴る血の玉は、振り子のように左右に振れながらお互いにぶつかって、チリンポリンと軽やかな音を立てそうにすら思える。右手には彫刻によるコクトーの肖像が飾られていた。クセの強い気難しそうな尖った顔。彼の隙のない的確さで描き出される魅力的な線に、何度舌を巻くような思いをさせられたことか。
入り口の壁の右下にコクトーの猫がいて、その脚の間には彼のサインが書かれている。このチャペルもコクトーの作品、言い換えれば自身の死という最もパーソナルな事柄を表現し包み込む空間の、コクトーによる徹底した演出であり、彼の美意識の結晶のようなモニュメントとなっている。
ちなみにMilly-la-Fôretへ行くのは、車がない場合にはなかなかに厄介だ。パリから約1時間、電車RER(郊外線)でMaisse(メス)まで行き、ここからはタクシーで行くしかない。しかし駅前にタクシーが止まっているということは無いに等しいようで、電話で頼まなければならない。私たちは駅前のレストラン・カフェに入りタクシーを呼んでくれるように頼んだが、なんとタクシーはすべてパリのほうに出払ってしまっているという。「うーん、困った」と顔を見合わせていると、親切にもそのお店の人が車で連れて行ってくれると言ってくれた。車さえあれば、5分ほどで着いてしまう。帰りのタクシーは、お昼を食べたMilly-la-Fôretのレストランで時間を指定してあらかじめ頼んでおいてもらった。
チャペルが開いている時間、曜日、時期もあるので、しっかり調べていったほうがいい。しかしそんなふうだからこそ、「見たいなぁ、見たいなぁ」と思いながらも冬が終わって明るく暖かい日が来るのを待ち、やっと見ることができた時の嬉しさもまたひとしおであったと言える。