大英博物館に潜る(その3)
その幽霊の隣にかけられたのは、まったく違ったタッチの戯画風の作品で、世界の聖人たちを描いたものだ。手に扇と鈴のようなものを持ち、十字架にかけられたキリストと、そのまわりで楽器を演奏し歌い踊る、釈迦、孔子、老子、そして伊邪那岐命(イザナギノミコト)かと思われる日本の神話風の格好をした人物がいる。自由で素早い筆の動きで描かれたこの作品は、暁斎独特のユーモアにあふれている。
近代になって力も意味も失いつつあった宗教を揶揄しているのだろうということ以外、これらの集って楽しむ聖人たちが何を意味するのか、はっきりとしたことは私には分からない。キリストと釈迦と孔子が一緒に描かれたものが、暁斎の大黒天の表象をテーマにした論文の中で扱われていたのを思い出した。(Donatella Failla, "The God of Wealth in Western Garb – Kawanabe Kyosai’s Portrait of Edoardo Chiossone as Daikokuten," Monumenta Nipponica, Vol. 61, No. 2, Summer 2006, pp. 193-218.)
高橋義雄という人物によって1886, 7年に書かれた『拝金宗』二編の表紙を暁斎が手がけているのだが、第二編の表紙に、大黒を教祖とする“拝金宗”に、洋服姿の多くの人々に混じって釈迦と孔子までもがなびいていく様子が描かれていた。キリストは磔にされているので動けずにいるが、視線は人々の動きを追っているようにも見える。そこに描かれたのは、お金というものが最大の“宗教”となった近代の姿であった。
河鍋暁斎《五聖奏楽図》明治4~22年/1871~1889
Israel Goldman Collection, London(写真:立命館大学アート・リサーチセンター)2017年更新
西洋人キリストの顔が誇張されすぎもせず、ごく自然な描写で描かれているのを見ると、コンダーというイギリス人の弟子を持ち、西洋が比較的身近だった明治時代の暁斎の状況を思う。むしろインド人釈迦のほうがよっぽどエキゾチックな顔をしている。これらの聖人たちの人間くささからは、宗教の世界までもが俗に染まっていく様子が見て取れる。
決して下手ではないコンダーの「木莬(みみずく)」だが、暁斎が描いたものと比べたときに際立つのは、やはり暁斎の筆の確かさ、完成度の高さである。暁斎のミミズクが、勢いのいい筆の動きで描かれている中にも、木にしっかりと止まっているのが感じられるのに対し、コンダーのミミズクは止まり木にしっかり乗っかっているという説得力に欠ける。ミミズクの気質にも違いが現われてくるもので、微妙に前に乗り出すように構えた暁斎のミミズクには緊張感が漂い機敏な印象だが、コンダーのミミズクは体勢も気持ちもちょっと後ろに引けている。やはり暁斎先生にはかなわない。
クラーク氏が選んで見せてくれたものはどれも、暁斎の画業の幅広さを感じさせるものだった。狩野派の伝統を受け継ぎ、自分なりに発展させ、戯画において俗世界にあそび、怪奇世界にも浅からず足を踏み入れる。一人、膨大な時間と労力をつぎ込んで仕上げる作品もあれば、最後にクラーク氏が見せてくれた席画のように、他の絵師たちとのコラボレーションや、書画会で勢いよく仕上げる作品もある。昔からの技法を大事にしながらそれを自分の芯として絵を描き続け、しかし垣根をつくることなく、明治という新しい時代、西洋という文化を含めた様々なものと向かい合い、自分とコミュニケートさせる。実に魅力的な人物だ。そして生み出される、力ある作品の数々。暁斎の世界は広い。
再びクラーク氏が開けてくれたドアを通り、ペコペコ頭を下げてお礼を言いつつも半ばぼんやりとして外に出る。ここはどこだっけ。ノーマン・フォスターのグレイト・コート(Great Court)の白い床に足を踏み出すと、ホールに満ちた光に足元から全身を照らし出されたようだった。輝かしい大英のステージに光は降り注ぐ。しかし私は見てしまったのだ。展示室裏の小部屋の中には、まだ小さな扉が開いていたのを。そこには膨大な数の木箱が、いくつもの世界への入り口をそのうちに秘めて、ずらりと並んでいたのを。一瞬、想像が追いつかなくなり、思わず身震いした。
(2007年9月)