Monday, December 18

Henri Rousseau: Jungles in Paris (アンリ・ルソー)

Tate Modern, London
Grand Palais, Paris ("Le Douanier Rousseau : Jungles à Paris")
Myself, Portrait-Landscape

好きな西洋人画家を挙げろと言われたら、考えるよりも先にまずルソーの名が口から飛び出す。アンリ・ルソー[1844-1910]、 フランス絵画界の変り種。ピカソやマティスなどのアヴァン・ギャルドな芸術家たちに気に入られ、新しい芸術を志す若手に尊敬されもしたのに、自分はとことんアカデミック嗜好でアングルになりたがったという(それでこの絵ですか、という)、楽しいエピソードの尽きない画家だ。

クリスマスにイギリスの家族のもとに帰った2005年の冬休み、ロンドンのテイト・モダンでルソーの展覧会が開かれていた。「Henri Rousseau: Jungles in Paris(アンリ・ルソー:パリのジャングル)」と題されたこの展覧会は、テイトとパリのオルセーの共同開催で、この後にはパリのグラン・パレ、そしてアメリカ・ワシントンのナショナル・ギャラリーを回覧する、かなり大規模なものだった。ルソーの作品50点に加え、ルソーの時代や友人関係、そして作品のインスピレーションの元になったものの資料なども様々に揃え、充実した展覧会だった。

(ペンギンブックスから出ているE.H.CarrのWhat is History?(歴史とは何か) は、左の絵を表紙にしている。あまりのセンスのよさに ― もちろん名著でもあるのだが ― つい買ってしまった。)

おまけに国立博物館・美術館の常設展は無料という素晴らしい精神のこの国では、企画展入場料は少々高めであっても、会場入り口でカラー図版入り・各展示室の解説入りの、きれいな小冊子をくれたりする。フランスでは国立美術館での大きな展覧会の場合、3.50ユーロで「Le Petit Journal(プティ・ジョーナル)」という、こちらもカラーの展覧会の小冊子を買うことができる。大きな図版入りの分厚い展覧会カタログはもちろんあるが、さんざん吟味したあげく財布と相談して、結局買うのを断念する私のようなケチな人間にも優しい文化である。そして何よりも私が感心し、ありがたく思うのは、こんなふうにして様々なレベルの“知的好奇心”が得ている市民権だ。専門家の知識は、ハードカバーの高価な本にもったいぶった言葉で語られるだけではなく、このような小冊子のように、気軽にすぐ手が届くところにも自然に用意されている。

もらった冊子のきれいなレイアウトに“お得感”をくすぐられ、すべすべの表紙の感触に心躍らせながら会場に入っていくと、そこには「あっちを向いてもルソー、こっちを向いてもルソー」という夢のような空間があった。大抵は美術館の中を歩いてまわっているうちにばったりとルソーに出くわして、嬉しさに思わず笑顔がもれてしまう、というものなのに、ここではどうしたらいいというのか。ただただ顔がゆるみっぱなしだった。19世紀のパリには、サロン(官展)に落選した、もしくは反抗した画家たちの一大展覧会であったアンデパンダン展(Société des Artistes Indépendants:独立美術家協会)があった。そこに毎年出品していたルソーの作品を、人々が「ルソーはどこだ」と口々に言いながら、多くの場合ものめずらしさや嘲笑を含め、楽しみに探し回るようになっていたというエピソードがあるが、それら人々はこのような国立の美術館の壁を、ルソーが埋め尽くす日が来ようとは想像もしなかっただろう。
Football Players [1908]
(反則パンチ。そして手を使っているのはいいのか?ハンドに怒ってパンチしたのか?)

ルソーは、母国フランスではよく「ル・ドワニエ・ルソー(le Douanier Rousseau=税関吏ルソー)」とも呼ばれる。この呼び名には、49歳で早期退職して画に専念するまで、パリ市の税関で働いていた小役人ルソーの素人バックグラウンドへの好奇心だけでなく、他のプロになるべく正統な訓練を受けてきた画家たちとの区別が込められているのだろう。そこにはルソーに対する親しみと、彼をあくまで“例外”とする差異化の気持ちが重なって見える。

私はこのいかにもフランス人な名前で、「アンリ・ルソー」と呼ぶのが好きだ。そしてその名前を聞くたびに、冒頭に載せた自画像(Moi-meme, portrait-paysage)[1890] のルソーの顔を思い浮かべる。共和主義者で愛国者のルソーはフランス・ベレーをかぶり、空には熱気球、むこうにはエッフェル塔、美しい鉄の橋、万国博覧会を連想させる万国旗をつけた、世界へと人々を運ぶ船が描かれる。そんな最先端にある文明社会の一員として、また、胸に無償で町の人々に絵を教える教授に任命されたときにもらった勲章バッジをつけ、パレットと絵筆を持った誇らしげな画家として、自分を「大きく」描いたルソー。道をゆく人々の大きさに比べて、この巨大さはもはやガリバーである。自らが生み出したジャンルと彼が自負する、肖像画とその人を説明する風景画を組み合わせた「肖像=風景画」らしい。
Carnival Evening [1886]

そして私は何よりもルソーを、この不思議な静謐感を湛えた空色と共に思い浮かべる。昔から西洋の風景画に使われてきた少し緑がかった青のような、クラシックな味わいの空色。しかしルソーの空は、通常そういった昔の絵が入れられているような、いかにもカビくさい重々しい額の中には収まりきれない、突き抜けた感じの開放的な空気で満ちている。どんなに深い密林に入り込んでも、ルソーの絵には空がある。どんな不思議さも奇妙さも、この空の下ではみんな自由にのびのびと息をして、なんだか自然に思われてしまうのだ。


上、左にある“Rendez-vous dans la forêt(森の逢引)”と題されたこの初期の作品[1889]は、その繊細な色合いによって絵の中に満ちた空気の、息を呑むような透明度が心に残る一品…逸品だった。絵の表面が照明にキラキラと光って、空一面が放つ細やかな輝きが目に眩しく、吸い込まれそうな空の透明感にやられてしまった。理論で武装しない、ただひたむきな作業から生まれ出る表現。そんなふうに説明したくもなるが、別にそんなものはルソーは求めていないに違いない。「あぁきれい」、ただそれだけで泣かせるルソーはにくいヤツなのだ。その右の“Promenade dans la forêt(森の中の散歩)”の空の色も、高く抜けていくような晴空を思わせる。絵の前で思わず息を吸い込んだ。

ルソーの世界の空気に感じる静謐感は、ベルギーのシュールレアリスト、ポール・デルヴォー(Paul Delvaux)の絵の雰囲気に通じるものがある。ということを、先日ベルギー王立美術館展でデルヴォーの“Trains du soir(夜の汽車)”を見ていたときにふと思った。デルヴォーの絵に感じるものは「静謐」というよりもむしろ「静寂」という言葉の(言葉の意味とは一見矛盾するかもしれないが)激しさ、厳しさのほうがあっている気がするし、デルヴォーの無機的な印象の強い空間はルソーの不思議な生命力に満ちた世界とは、まったく性格の違うものである。しかし、「息をつめて(画面を)ぬっている」そのかんじが、どちらの絵からも強烈に感じられるのが印象的だ。

その静けさをやぶらないように、ルソーが息をつめて丁寧に、のめりこむようにして塗っていったかのような空。微妙で繊細なグラデーションで、透き通るようにキラキラ輝く空の色。一心にひたむきに動かすルソーの筆が、この単純な美しさを生み出したことに感動する。

Henri Rousseau et Yuichi Takahashi (アンリ・ルソーと高橋由一)


右:アンリ・ルソー(59歳)[1903] 、左:高橋由一(40歳頃)[1866-7]

ルソーと由一。いまだかつて誰がこの二人を並べて話をしようなどと思っただろうか。でたらめな私自身、こうやって二人の自画像を並べてみて驚いているのだが、わりと似ている。左斜め前から胸から上を描いているというスタイルだけではなく、広いおでこに角度をつけてキリリと引かれた眉、少し不自然なくらいの色による陰影表現も、こめかみから顎にかけての影のつけ方も似ている。そして何よりも、それぞれどちらも自意識過剰ともいえる緊張感にあふれた自画像ではないか。

たまたま二人の自画像を並べてみたことから話がこのような進み方をしてしまったが、二人を一緒に持ち出したとしても、別にその類似性を指摘し証明しようとしているのではない。先の話にデルヴォーを登場させたのと同じくらいの気持ちで、二人の絵から受けた印象に共通するものがあったので、書いてみたいと思っただけだ。なんの根拠もない感想文である。

高橋由一[1828-94]は、日本で油彩画がまだあまり普及していない頃、その習得・発展に半生をつぎ込んだ、日本近代絵画の幕開けともいえる時代の本当に最初の人だ。今の人の洋画に対する一般的な印象は、「油絵(あぶらえ)」という言葉のもつベトベトした感じ、どうも泥臭く暗い感じに代表されるのではないかと、私自身の印象からも思うのだが(そして半分以上は岸田劉生の、あの恐ろしい微笑を浮かべた麗子像のせいだと思っているが)、丁寧に見ていくとその印象もずいぶん変わる。私は最近、芳賀徹先生の『絵画の領分』という本を読んで、芳賀先生の高橋由一への思い入れに影響されたせいもあり、この時代の絵画も興味深く見られるようになってきた。


高橋由一にとって西洋画法を学ぶことは、同時にものの見方の改革でもあった(ということを芳賀先生の本は教えてくれる)。例えば桜を描くとして、器用にさささっと「桜一般」を描いてみせるのでもなく、また桜の花をつけた枝が風にそよぐ様に自らの心情を反映させて、その印象を描くのでもなく、自分の目の前にある特定の桜を、自分からまったく切り離して一個の客体として写すということ、すなわち「写実」に高橋由一は挑戦し始めるのである。彼の絵の張り詰めた緊張感は、由一の対象に向かう必死なまでの姿を映しているかのようで、ここでは開拓者の切実さが、迫力となって実を結んでいる。この切実さ、あるいは必死さ、甘えのなさ、つまりこの画家の全存在をかけているような絵のあり方は、油絵の道を自ら切り開いていった由一のような人の他に、そう簡単に見られるものではないのではなかろうか。
 

右上の“墨水桜花輝耀の景”では、まるで水を含んでいるかのように濡れて光る花びら一枚一枚の、向こうが透けるような薄さ、由一によって写し取られた桜の姿に、注がれる由一の集中力に、人の営みとしての絵画世界の深さを見たようで、心が熱くなる思いがした。その「写実」の精神は、岸田劉生の“切通しの写生”に貴重に受け継がれている。 (下図)


さて、私の中で由一とルソーが重なったのは、この“墨水桜花輝耀の景”の桜の花びらが油彩画の表面に塗る釉のせいで、まるで水分を含んだようにキラキラした瞬間である。それはルソーの“森の中の逢引”の白みがかった空がキラキラと、これもまた釉と照明のせいで光をもち、効果的に私の心をつかんだときと同じだった。(私はカラスか。)しかし、それはただ単に光り物効果というだけではなく、なぜルソーの絵が感動的か、なぜ高橋由一の絵が感動的か、という点で本質的に重なりあうところがあったからだ、と私は言いたい。

「写実的」である絵と「写実」は違う。由一の写実への挑戦は、自らにウソをつくことを許さぬ厳しさが感じられる。彼の「写実」は、時に「写実的」になりえないことさえある。技術の未熟さが、そしてごまかしがないために、ぎこちなさとなって出てしまうからだ。それでも由一の絵の迫力は、写実に対する執着から来るものである。その力は、写実とはかけ離れていると思われるルソーの絵がもつ力、またはルソーの絵がもたらす感動に、とても近いように感じる。ルソーが追求したものも、ある意味で「真」だったからではないだろうか。ルソーは彼の内に展開した世界の姿を写すという意味で、そのひたむきさは由一のそれに匹敵するものだったと言うことができると思うのだ。


彼が自分が描くジャングルの世界に入り込んで、息苦しくなって部屋の窓を開けなければならなかったというエピソードが示すように、ジャングルの世界はルソーにとって真実だった。ルソーがその世界のディテールをキャンバスの上に描き写すとき、一筆一筆が彼のすべてのエネルギーを持って、その世界をなぞったのだ。丁寧に塗り重ねられ、分厚さを増した濃い緑の一枚の葉に、微妙で繊細なグラデーションをみせる空の色に、私はそのようなルソーの絵のあり方を思い、心打たれる。


例えばロンドンのナショナル・ギャラリーにある“Tiger in a Tropical Storm (Surprised!)” [1891]では、その他のルソーのジャングルの絵と同様、一枚の葉ですら、主人公であるはずの虎に注がれるのと同じ丁寧さ、エネルギーで描かれている。技術的未熟さ、表現の不自然さをあげつらうのは簡単なことだ。しかし、そのような技術をもつ人こそが陥りがちな、見る人の目を欺こう、騙そうという意図などここにはない。あるのは熱意と、ただひたすらに身を注ぎ込むルソーの姿だけである。

ゴッホの燃え立つように画面に盛られる絵の具が描き出す、花をつけた杏の木や糸杉のもつ生命力。そのような激しさとは異なるが、ルソーや由一の作品も見れば見るほどその一筆一筆から画面に注ぎ込まれる画家のエネルギーに圧倒され、また感動させられる。そしてその二人が当時の絵画の主流からははじかれていながらも、自身の画業に対する誇りと信念とともに自尊心をギラギラさせながら、びしっとした服装で同じように強い目をした自画像を描いたとしてもなんら不思議ではないのである。