Wednesday, August 10

大英博物館に潜る(その1)

堂々たるコロン(柱)の間を通ってメインエントランスをくぐると、ガラス天井と白壁のホールに溢れる明るい光に包みこまれる。思わず「わぁ…」と声が出る。大英博物館が創立された18世紀の”Enlightenment”(啓蒙主義:原語は「光で照らされること」「蒙(くら)きを啓(あき)らむ)」)の精神を体言したかのような、ノーマン・フォスターの見事な空間演出だ。そのホールの反対側、入り口の真向かい位置する通路を通って奥の建物の突き当たりまで進むと、その最上階にJapan Galleryがある。ドアのガラスからは、気品あふれる百済観音の横顔が印象的にのぞいている。その観音の視線の先、長い長方形状に三つの展示室が連なるこのギャラリーの一番奥には、またもうひとつドアがある。ニコル・ルマニエール先生率いる見学隊のためにその扉を開いてくれたのは、このギャラリーのチーフ・キュレーターであるティム・クラーク氏だった。

ギャラリーの裏にあるこの小部屋の奥では、六双の屏風が金箔の光に包まれて私たちを待っていた。その左手には更にもうひとつのドアが開いている。巻かれた掛け物を収めた棚が連なる、大英の日本美術コレクション保管室への入り口である。そこからクラーク氏が取り出してくる細長い木箱一つ一つの中には、絵画という更なる世界の展開があった。クラーク氏が巻かれた掛け物をするすると広げていくと、鮮やかな色彩と流れる墨線が織り成す画面が姿を現す。丹念にぬり重ねられた色に、筆あと一本一本の重なりに、江戸時代の絵師の息づかいを生々しく感じ、鳥肌が立った。大英博物館を奥へ奥へと進むほどに広がる世界。まったく頭がくらくらする。

私の目はまず、この大きな金屏風にすいよせられた。墨のラインがうねる水の流れに、しなやかな曲線フォームが印象的な虎が四頭、金色の光の中でその見事な毛皮を豊かに輝かせている。一頭はまだほんの小さな子どもで、川を渡る親虎の口にくわえられている。川の両岸にはそれぞれ少し大きい子どもが一頭ずつ、片方はすでに川を渡り終え、濡れた毛皮をなめて乾かしている最中で、もう一方は首を前に伸ばして、向こう岸に向かう親虎の背中を目で追いながら自分の番を待っている。川の流れは激しく、大きく盛り上がってうねりながら、親虎のノドから腹の毛をぬらす。

見たとたん「応挙の虎だ」と思った。特に右下の順番待ちの虎の愛嬌ある表情、ぬいぐるみのような子虎の姿に、これまで見た応挙の虎たちのイメージが重なった。近寄ってみると、確かに右下に応挙のサインがある。私のような素人は円山四条派のことなどをあまり知らないから、大雑把なところですぐに「応挙だ」と言うわけだが、この作品が本当に応挙の手によるものなのかどうか、議論もあるそうである。真ん中の親虎を応挙が仕上げ、子虎たちを弟子たちが描いた可能性もあるという。クラーク氏はそう説明しながら、ピンクにぬられた鼻の描き方の違いなどを指し示してみせた。

この子どもの川渡しをする虎という図像は、中国の故事から取られているのだという。虎の家族が川を渡らなければならなくなったが、激流のため親虎は一度に一頭しか運べない。しかし、三頭の子どもたちのうち一頭は気が荒く、他の子どもと残しておくと危険である。さて、どうするか、という場面らしい。ニコル先生は、「この子虎たち一頭一頭が応挙の弟子たちの誰かを表しているのではないか」という想像に、きっとこの危険ないたずらっ子が芦雪じゃない?と言って楽しげな笑い声をあげた。クラーク氏は、じゃぁこちらは呉春かな、と言ってフフッと笑った。



円山応挙・円山四条派《虎の子渡し》c.1781-1782 (153.5 x 352.8cm) 大英博物館

このような日本美術の作品の実物をガラスに遮られることなく間近にしたのは、生まれて初めてのことだった。虎の毛を描き出す筆跡の一本一本が存在感をもって重なり合い、画に厚みのようなものを与えているのがはっきりと見える。虎の頭部を覆う毛は、思わず指をうずめてその柔らかさを確かめたくなってしまうほどに、丹念に描き込まれている。その一本一本の物質的な重み、筆の動きという一つ一つの行為の積み重なり。物(object)として物質的に実現された“表現”の、その質感と質量はまさに「本物」だった。表現されたもの(考え idea)の問題としてではなく、物体としての絵画というもの、「絵画そのもの」の存在、そこにこもった力にまず圧倒された。

印刷として均一な一平面になってしまったものや、ガラスというフィルターによって一枚の膜をかけられた表面からはおよそ得られなかった生のテクスチャー(質感)との対面は、新鮮で生々しい感動だった。

複製芸術と言われる版画でも、人の手の作り出した「もの」であることには変わりなく、生物(なまもの)との対面は、それは生唾ものなのである。クラーク氏は上質の北斎「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」を持っていた。大英のものだという他の二点とともに、三点の「波裏富士」が机の上に並べられる。その中でもクラーク氏の一点は、保存、摺りの状態、色の鮮やかさ、どれをとっても最良質だった。厚くしっかりとした紙に染み込んで深い色を放つ藍色のヴァリエーションに、繊細かつ確かな墨線が自在に描き出す世界。紙の質感に、豊かな色彩と潤いある墨線が重なって、あたたかい味わいがこの「もの」に満ちる。浮世絵に使われる「空摺り」や「きめ出し」という、プレッシングによって紙の表面に凸凹をつけて模様や形を描く技法の立体的効果や、雲母の粉末を色に混ぜ込んでキラキラ効果を出す「雲母摺り(きらずり)」などの例もあげられるが、この「もの」としての喜びは、作品の大切な要素であるはずだ。


葛飾為一(北斎)「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」(1831)大英博物館

また、浮世絵版画には「木目潰し」といって、版木の木目が摺りにそのまま現われているものもある。これがあると「はぁー」とため息が出るほどに嬉しくなってしまうのが常だが、その心はなんだろう。木目模様が空に現われていれば、それが空の表情として独特の効果をあげるからだし、摺りの過程そのものを作品の味にしていくその遊び心とセンスがにくいのだ。このような技法から、浮世絵は“工芸的”という(西洋的絵画観からの)説明をよくあてられるが、それはつまり、「もの」としての絵とそのまわりの世界の密接なつながりを意味しているにすぎない。筆跡から何から、絵の外にある作者の存在を画面からできるだけ排除し、画中にひとつの独立した世界を確立しようとする絵画のあり方とはまるで違う、「もの」としての絵の、別の楽しみ方がここにはある。

(その2に続く。)