Wednesday, April 27

Coffee and Cigarettes (コーヒー&シガレッツ)

ジム・ジャームッシュ監督,2003年,アメリカ
シネセゾン渋谷にて。

Poster of "Coffee & Cigarettes"

音楽と同じで、映画にもリズムが自分の脳波にぴったりくる、という「体感」タイプのものがある。いろいろ頭で考え始める前に、まず体が共鳴して「この映画好きだ」と反応する。そう感じさせるのは、その映画のテンポであったり、音楽であったり、色の具合であったり、キャラクターの演出の仕方であったりと様々だが、大抵において総合的な感覚なので、説明しようとするのはなかなか難しい。私にとってジム・ジャームッシュの映画は、まさにそういうタイプだ。"Stranger than Paradise" も "Down by Law" も、映画と自分の呼吸がぴったり合うような気持ちのよさがあった。今回の"Coffee & Cigarettes" もまた然りである。


"Coffee & Cigarettes" は、Coffee break中の11組のエピソード11話から成っている。"Night on Earth(ナイト・オン・ザ・プラネット)" とのときと同じ、オムニバス的な手法だ。ジャームッシュの音楽的感覚が最大限に活きるのは、それぞれ独立した様々な短いエピソードをひとつのテーマの中で組み合わせて作る、このオムニバスという形式かもしれない。ひとつひとつのエピソードの区切りは休符となって軽快なリズムを創り出すし、ひとつのストーリーにこだわらずに様々な要素を取り込んで変化をつけることができる。また、違うエピソードでも微妙に重なってくるセリフや、全場面通して使われている白黒のチェックというモチーフの繰り返しによっても、メロディーパターンのようなものを作って全体を上手につないでいる。

独特のリズム感で、それぞれ変わり者の登場人物たちがノートとなって鳴らす珍妙な音楽は、脳波に不思議な共鳴をしながら脈に乗って体の隅々まで行き渡り、なんともいえぬ嬉しさで満たしてくれる。ジャームッシュの音楽好きは、サウンドトラックとして使われる音楽だけでなく映像作りそのものに反映されて、ジャームッシュ映画を特徴付ける決定的な要素になっていると言えるだろう。


白黒がシャープできれいだ。テーブルやランプシェイドなどに必ず使われている白黒のチェックも、モノトーンの画の中できれいに映えていた。ジャームッシュはこういう画のセンスもとてもよい。それに、なんでもない不特定の時間を描くとき、時間の感覚をあまり感じさせない白黒はとても合っている。

それにしても、それぞれの組どれも居心地が悪そうに空気をもてあましていて、微妙な共感を覚えると共におかしくなってしまう。特に何をするわけでもなく、とりたてて楽しくもなければ別になんということもない時間。何かを求めて不精な手をちょっと伸ばしてみれば、そこにはいつもコーヒーがあって、タバコがある。そのちっちゃな安堵感があたたかい。

"Coffee and cigarettes, man. That's the combination."

何かと扱いにくいトム・ウェイツに調子を合わせて、イギー・ポップがウィンクまでしそうな人の良さで言う。・・・絶対ウソである。「このコーヒー、クソまずい」とこぼす双子と武器庫のじいさん、「Smoker's coughだよ」と言いながらゲホゲホ咳き込むビル・マーレイ。みんな最高だと思いながらカフェイン&ニコチンしているわけじゃない。でも、どこか居心地の悪い日常の中の、ひとつのため息からもうひとつのため息までの何ていうことはないひとときを、コーヒーとシガレットが何気なくつなぎとめてくれる。たとえまずいコーヒーでも、極上のシャンパンで夢みたいな思い出を華やかに祝うより、自分の毎日に染み込んだ、ずっとリアルな味がする。人生を祝うならコーヒーカップを鳴らそう。Cheers!

オリジナルサイト: http://coffeeandcigarettesmovie.com/
日本版サイト: http://www.coffee-c.com/

Sunday, April 17

Andy Warhol in the Pre-Pop 1950s (プリ・ポップ時代のアンディ・ウォーホル)

西荻窪に、たまに行けば毎回2時間くらい居座る“音羽館(おとわかん)”という古本屋がある。いつも何かしら映画や音楽やアートなどの面白い本・雑誌・画集などが見つかり、良心的な値段で品揃えがいいからか本の回転もなかなかいい。ものすごく専門的にこだわっている、というのではないが、逆に気軽に構えず行くことができるのがよい。店も明るくきれいで居心地いいので、特に探している本があるわけではなくてもついフラフラっと行く。行くと何かしら買いたくなるのでたまにしか行かないのだが、しばらくすると「そろそろ行かないとな」という気になる。今回も前回から1ヵ月半くらい経っていたので、貧乏を引きずりながらもちょっとウキウキした気分で店のドアを開けた。

見る順番はだいたい毎回決まっている。文庫、新書からざっと見て、絵本をちらちら覗いて、デザインや音楽の雑誌類のタイトルに一通り目を通して、思想書の前をたらたら通り過ぎ、セレクトして置いてある新刊のタイトルを眺める。それから写真関係に移って、気持ちが集中してきたところで映画の棚に向かい、そのあたりを行ったり来たりしながら、最後にアートのコーナーに進む。

買い始めるときりがない。お金もない。だから次から次に本を持ち代えて、最終的に手の中に残った一冊を買う。この日は何度もいろんなページを開いて吟味した、ユリイカの1989年のバックナンバー『ヌーベル・バーグ・30年』に決まるか、というところだった。その最後の最後に目に入ってきたのが、このウォーホルのイラストレーション・ブックだった。「今日ここで求めていたのはこんな出会いよ」という胸の高鳴りに、ユリイカはあっさり負けた。

"Drawings and Illustrations of the 1950s"
『アンディ・ウォーホル 50年代イラストブック』 新潮社,2000年

The Cover of the Book (American Edition)

アンディ・ウォーホル。カラフルにプリントされたマリリン・モンローやエルビス・プレスリーのイメージは、あまりにも有名だ。彼がニューヨークのアートシーンを代表するポップ・アーティストとして活躍し始めるのが1960年代。ウォーホルは、生身の人間の感触から切り離され大量生産されるイメージを、表現の場、また表現そのものとした。そんな彼の作品に代表されるポップ・アートは、独特の軽快さと明るさが印象深い。コマーシャル社会に溢れる、絶えず変化し続ける(dynamicな)エネルギーと、一方でそのめまぐるしいエネルギーの流れを透かして中心を見ようとしたときに、確かな拠りどころとなる核・根っこが見えないような空虚感。ウォーホルは“マリリン”のような作品で、繰り返すイメージと明るく強い色と色のコントラストが生み出す軽快なリズムによって、そのような現代都市の感覚を印象的に写しとった。

今回見つけた本は、そのポップ・アート以前、ウォーホルが商業イラストレーターとして活躍していた頃のイラストレーションを集めたものである。黄色やピンク、緑、青などで猫を描いたものは前にも見たことがあったが、ペンでのドローイングやそれに水彩で色をつけたものをこんなふうにまとめて見たのは初めてだった。太くなったり細くなったりしながら自由にはしるインクの線は、ユニークなあたたかみがあって見たとたんに愛着がわく。ポップ・アートの代名詞のようなウォーホルのまったく違った魅力に、びっくりしながらも夢中になった。

Male, 1955-7 (left); Sam in Pink, 1954 (right).

紙の上を滑らかにはしる線は、シンプルながら実に洗練されている。彼はジャン・コクトーが好きだったのではないかと思う。特にエロティックな雰囲気の漂うThe Boy Bookという、男の人ばかりを描いた線画は、コクトーの洗練された見事な線画を思い起こさせる。ただしウォーホルの描く線は、コクトーの本質を見抜いて線として抽出したような鋭さとは違う。コクトーの正確で明快な線は緊張感があって隙がなく、命をもってダイナミックにすべりながら、デザイン的な、それ自体で完結した世界を創り出す。ウォーホルの線もシャープで生き生きとしている。同じように際立つデザイン的センスにはドキドキさせられるけれど、彼の意識はコクトーがとことんこだわった線の力からもう少し自由である。まず何より、いかにも楽しそうだ。

Record Covers, 1956.

ウォーホルがパーソナルなあたたかみを大切にするイラストレーターとして知られていたことも、この本を読んで初めて知った。それは絵にも十分に表れている。そうでなければあれだけ敏感なポップ・アーティストとはなりえなかった、ということでもあるのだろう。そして表現するものや方法が変わったとはいえ、洗練された軽やかさ、ユーモアといったPre-Pop時代のウォーホルの特徴は、Pop時代にも確実に受け継がれている。

"In the Bottom of my Garden" series, 1955-6.

ポップ・アート作家としてのウォーホルの作品には、「面白いな」「この感覚、なるほどな」という以上に特別な愛着をもったことはあまりなかった。ウォーホルというアーティストも、いろいろなときに気になる人ではあったが、自分の好みや興味に直接的に重なってくることはなかった。しかし、この本で50年代のウォーホルの様々なイラストレーションを見てから、イメージががらりと変わった。後の180度姿勢を転換したポップ・アートの作品すら、見え方が随分変わってきた。作品そのものに見えているものが変わったということではなく、これらのイラストレーションと無関係ではないものとして、そこにたどり着く道筋、変化の意味に興味が持てるようになったということだ。

以前は「へー」と意外に思って見ていたストーンズのミック・ジャガーのポートレートも、50年代のウォーホルを知ったことで腑に落ちるようになった。(↓)

Mick Jagger, 1975.

ウォーホルによって手が加えられたこのポートレートは、黒や灰色のカラー・マスやぐにゃぐにゃした線が入ることで、(若かりし日の)ミックのセクシーな小悪魔的雰囲気が強まっているように感じる。本人のコントロールをすっかり離れて広がるマリリンやエルビスのイメージとは違って、パブリック・イメージと生身のミックが、共にお互いが最も望むところで出会ったような、そんな印象があった。そういう意味で、ポップ・アートとしてウォーホルの作品に表現されたイメージの無機的冷たさからは逸脱しているように感じていたのだ。しかし今は、これもまぎれもなくウォーホルなんだ、と納得がいく。

本の帯には「ウォーホルになる前のウォーホル」と大きく書かれていた。しかし、むしろポップ・アーティスト“ウォーホル”になるべくして彼が捨てたイラストレーターとしての仕事の中にこそ、アンディ・ウォーホルその人が見えるような気がするのである。

音羽館での収穫

これまで音羽館で購入したものには、例えばこんなものがある:

画集、写真集
・『1000 Robots; Spaceships & Other Tin Toys (1000ブリキのおもちゃコレクション)』,北原照久・清水行雄,Tashen,2002.
 ― 私はブリキのロボットとか飛行機の模型とかがたまらなく好きなのだが、本物は高いので写真集で我慢。

・『Shiele (エゴン・シーレ)』,ラインハルト・シュタイナー,Tashen,1993.
・『Russeau (アンリ・ルソー)』,コルネリア・スタベノフ,Tashen,2002.
 ― タッシェンはいい。1200円くらいで買える、装丁もなかなかきれいな画集やヴィジュアル・ブックをたくさん出しているから。イギリスでも何冊か買った。なかでも『Photo Icons』1&2は写真史において有名な写真の背景を説明したもので、すごく面白い。

・『DASHENKA (ダーシェンカ)』,カレル・チャペック,新潮文庫,1995.
 ― チャペックの犬の話とイラストと写真。

・『Le Ballon Rouge』,Albert Lamorisse,Mouche,1998.
 ― アルベール・ラモリス監督映画『赤い風船』の写真絵本。フランス語。表紙のデザインもきれい。でもこれは音羽館ではなくて、西荻にある他の古本屋で買ったのかもしれない。

映画のプログラム
・『Limelight (ライムライト)』,チャールズ・チャップリン監督作品.
・『City Lights (街の灯)』,チャールズ・チャップリン監督作品.
 ― 1980年東和創立45周年記念のときの。
・『Nuovo Cinema Paradiso (ニュー・シネマ・パラダイス)』,ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品,1989年公開.
・『Mitt Liv Som Hund (マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ)』,ラッセ・ハルストレム監督作品,1988年公開.
・『Buena Vista Social Club (ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)』,ヴィム・ヴェンダース監督作品,2000年公開.

Saturday, April 16

追悼・タカダワタル

高田渡さんが亡くなったそうだ。今月30日に吉祥寺バウスシアターで映画『タカダワタル的』のイベントでミニライヴをするはずだったので、友達と見に行こうか、と話していた矢先だった。まだ50何歳とかなのに。絶対酒の飲みすぎで体悪くしたんだろう。『タカダワタル的』だって、吉祥寺の伊勢屋の2階で飲んでるシーンばっかりだったらしいし。NHKの番組に出て演奏している最中に、「あれ、演奏、止まったな」と思ったら、本人は酔ってつい寝てたらしいし。ライヴの後のパーティーかなんかで、うちの兄さんがCDにサインしてもらいにいったら、油性マジックでCDケースにヘロヘロ書いてくれたのが、「サダムムラさま」ってなってたし。そりゃ飲みすぎだよ。

私はそんなタカダワタルに会いにバウスシアターに出かけていくのを楽しみにしていた。大介くんが話してくれるタカダワタル話を聞くうちに、不思議な愛着がわいていた。イベントの前には私も伊勢屋の2階で一杯、と考えていたくらいだ。でもタカダワタルはもういないのだと、7時のニュースはそう言っていた。

♪自転車に乗って 自転車に乗って ちょいとそこまで歩きたいから♪

春の陽気にぴったりなこの歌が、自転車にまたがって家を出る度に“ファンキーバージョン”で頭の中でリフレインしていた今日この頃。この突然の訃報に、なんだかほろ酔いのまま自転車に乗ってフラフラと春の陽の中に遠ざかっていってしまうタカダワタルの後姿を、ちょっと寂しくぼんやり見つめているような気分だ。

あの飄々としたタカダワタル節をもう生で聴けないかわりに、自転車に乗って、ちょいとそこまで歩いていって、伊勢屋の2階で彼のために一杯。『タカダワタル的』を見に行くときには、きっとそうしよう。「ごあいさつ」できなかった私のささやかな追悼だ。

Saturday, April 9

Paris, Texas (パリ、テキサス)

ヴィム・ヴェンダース監督,1984年,西ドイツ=フランス

Poster of "Paris, Texas"

朝日新聞の"be"という、いまいち何をしたいのかがよく伝わってこない折込紙がある。青いのとオレンジ色のがあるが、本日付のオレンジのほうに、先日『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』について触れたときにも名前が挙がったヴェンダースの、名作『パリ、テキサス』の話が出てきた。私もこの映画は大好きである。「おぉ」と思って記事に目を通した。が、読んでいて腹が立った。ペラい折込が中身までペラい。「ひとつ分からなかったのが…」と言って、(見た当時)映画の最も重要なメッセージを受け取り損ねていることを自ら暴露していることに加え、腹が立つのは何と言っても、多くの読者を抱える有力新聞社・朝日とあろうものが、無責任にもこの映画のもっている複雑さを台無しにするからだ。

この映画は、トラヴィスという男がテキサスの砂漠で見つかるところから始まる。このシーンは印象的だ。真っ青な空と砂漠の黄色い大地の広がりの中を、熱く乾いた空気を伝って、ライ・クーダの弾くスライドギターの音が数本、重なり合いながらカーブをえがくように走ってくる。そこに赤いキャップをかぶった、いかにも怪しげな男がふらりと現れる。トラヴィスだ。愛を注ぎ込んだと思っていた妻が幼い息子を残して家を飛び出し、彼は混乱のままボロボロになって、4年間行方が知れないでいた。

その彼が、彼の息子を引き取って自分たちの実の子のように育ててきた弟夫婦のところにやってくることになる。初めまったく口を利かないトラヴィスだが、一枚の写真をきっかけに話し始める。それはテキサスの“パリ”に彼が買った土地の写真であり、そこは自分の両親が初めて結ばれた― つまり自分が命を宿したかもしれない― という場所なのだ、と。

Travis (left) and Jane (right): Scenes from "Paris, Texas"

傷だらけの思いを内にひた抱えながら、自分自身の姿を、また、自分の人生に存在する大切な人に自分はどういう責任があるのかということを見つめなおす。自分がかつて夢みた場所に、まだ自分は今でもたどり着くことはできるのか、どのように歩いていけるのかを、夢の崩壊という混乱や恐れを少しずつ自分の中で克服しながら、歩き出す。そのような、痛む傷に恐る恐る温かい手を触れていくような繊細さで描かれた、人間の生きること、愛することへの複雑な思いを、

あんな単純さに還元するとは許せん!!! オレンジbeめ。

まず第一に、あの映画をネタにテキサスの“パリ”(ダラスの少し北東)を取材すること自体が的外れである。映画にとって実際の場所としてのテキサスのパリは大きな問題ではないからだ。それは、トラヴィスの夢と思いがこもった象徴的な場所であり、そこにトラヴィスがどのように自分自身を向けていくか、という精神的な過程が大切なのである。この“パリ”は、遠き夢の場所フランス・パリに対するテキサスの思いに重なって、この映画の、そしてトラヴィスの精神的軸であり、「きっかけ」である。他の人にとっては他のものがトラヴィスにとっての“パリ、テキサス”になるのだから、実際のテキサスのパリで「トラヴィス」と「ジェイン(トラヴィスの元妻)」の姿を探すなんて、意味のあることではない。

ヴェンダースがテキサスのパリを訪ねる動機となったのは、映画の生みの親としての、トラヴィスというキャラクターに対する責任感であり、シンパシーであったに違いない。大事なところは全部ヴェンダース自身の説明に頼ってしまう記事の姿勢にもろに現れているように、 ヴェンダースが行ったからといってそのあとをフラフラついていくようなことでは、この記事のモチベーションはどこにあるのか、と言いたくなる。

The picture of the land Travis bought in Paris-Texas.

そして記事は「ネタばれ」の注意書きもないまま、悲しくも味わい深いラストをペラリとしゃべってしまう。書いた人は映画を見たときにそのラストの意味をつかめなかったらしいが、記事を書いた今の時点では分かるようになったと言いつつも、その結論にたどり着くまでトラヴィスがさまよってきた道のりの長さを、受け止めるべき思いの大きさを感じ取っているとは思えない。しかし、もう書かれてしまったのだからしょうがない。ここではせめて、そんな軽さでは説明できないと私が感じることを書いてみたい。

トラヴィスが2人と一緒になろうとせずに立ち去ったのは、自分が愛の名の下にまさにその愛をぶちこわしにしたことを思い知っているからだ。単純にもう一度家族3人一緒になれば幸せになれるというほど、ものごとは簡単ではない。トラヴィスの4年間の間には自分が見出すことのできたもの、できていないものがあり、またジェインには彼女がその4年間の間に積み重ねてきた生活と思いがあり、ハンター(息子)には弟夫婦の注いできた愛と幸せな時間がある。愛はいろんな関係の中で時間を経る中で、複雑に入り組んで人々の間を通って、または通えないでいる。相手を思ったときに、どういうかたちでその思う心を反映させることができるのか。そのことが、トラヴィスとジェインとの、そして彼とハンターとの間で、ジェインとハンターとの間で、弟夫婦とハンターとの間で繰り返しおこる内なる質問であり、様々な思いを抱えながら、それぞれが道を探し続ける。

トラヴィスにとっては、自分が気づいたことをジェインに伝え、ハンターとジェインを再会させることは、そのひとつの道だった。4年間の間に傷の深さを見た彼が、自分がその輪に加わる段階ではないと判断したのは、悲しくも、自らを知り相手を思うがゆえのことだったと、私は思う。この映画でヴェンダースは、そのような悲しさをも含めた「人を思う」という複雑な、人が生きている限り常にあるテーマを、繊細な優しさを込めてポジティヴに、彼独特の鮮やかな色彩のなかに描き出している。

Travis and Hunter in a scene of the film.
Looking at this scene while writing this, I cannot help thinking that this junction, under which Travis and Hunter are talking in a car, represents such complexity of human relationships and also of the way of life. One road meets the other, but another might only pass them over and never come accross...

『パリ、テキサス』は実際に旅をする、いわゆる“ロードムーヴィー”であるが、心もあるひとつの場所に向けて―「パリ、テキサス」という精神的目的地に向かって― 道を歩むon-the-road過程を描いた、ロードムーヴィーというジャンルの本質を見事に体現した作品だと、改めて感心する。

Thursday, April 7

The Dancing Satyr & the Seated Bodhisattva (踊るサテュロスと菩薩半跏像)

3月11日、東京国立博物館でこの2つの古代彫刻を同時に見ることができた。サテュロスは今は愛知万博のイタリア・パビリオンにあるらしい。その前に東博に立ち寄ったのが、今も東博で特別展示されている中宮寺半跏菩薩の展示期間とかぶっていたのだ。“踊る”サテュロスと“半跏(足を組んで座った姿勢の)”菩薩。共に聖なるものとして、ただの彫刻以上の存在であっただろう二体だが、ポーズひとつをとっても、表現の仕方、表現されているものといい、対照的で面白い。 どちらもそれぞれ魅力的であり、並ならぬ存在感があった。

“踊るサテュロス”,ブロンズ像(高さ約2.5m、重さ108kg),BC4世紀ギリシャ,シチリア、マザラ・デル・ヴァッロ サテュロス博物館所有

雨の上野公園を通ってバタバタと東博の表慶館に駆け込むと、「門外不出」と言われてきたサテュロスを見ようと集まってきた人がすでにたくさん入っていた。サテュロスとは、ギリシャ神話の酒の神ディオニュソス(バッカス)の従者である山野の精のことだ。お酒の神さまの従者という役柄にふさわしく、音楽、踊りの名手で、大騒ぎやいたずらが好きで、そのうえ好色ときている。このブロンズ像では、そのようなお祭り騒ぎのような雰囲気はあまりない。言うならば、時間の流れを忘れさせるような静寂の中で、体に湧き上がるエネルギーの渦巻きに恍惚として身を任せている、といったふうだ。

The Dancing Satyr

この像は1998年にシチリアの漁船の網に引っかかって海から引き上げられたそうだ。テレビでその漁船に乗っていた人のインタビューを見たが、随分重いものがかかっているなと思って網を引き上げてみたら、海面からこの像が文字通り「顔」を出したそうである。息が止まるほどびっくりしたと言うが、本当にそうだっただろう。 物は時を経ると、最初に人間の手によって作られたときの状態に時間の“手”が加えられて、“時間の色”がつき、“すごみ”や“味”(これを「古色」という)が出るということがよくある。人工物であることを越えて、より大きな力が加わるのだ。錆びや傷もがそのものの力になり、人の手だけでは成し得なかった迫力を生み、時間の力がその物にこもる。このサテュロスの姿はそのいい例だ。この顔の迫力。漁師のおじさんの驚きには畏怖の念さえこもっていただろう。

日本の文化の中には、古色が出るようにあらかじめ考えられて作られたものもたくさんある。例えば漆器などは、手ずれができて下地の色が微妙に見えるようになって、「いい味が出ている」と言われるようになったりする。そうでなくても、昔の仏像などが色あせた状態でこそ賞賛されるということはよくある。有名な例で言えば、興福寺の阿修羅像[734年]は元々の姿を復元すると実にけばけばしくなる。大抵の人は今のしぶい色合いをより好む。 そこができるだけ元の状態に近づけようとする西洋的考え方や強い色合いを好む中国の好みとはちょっと違うところだ。(ちなみに、この阿修羅像の顔とサテュロスの顔が似ているという指摘もある。)

Ashura of Kofukuji & its reconstruction

“菩薩半跏像” [国宝],寄木彫刻(高さ87.9cm),7世紀(飛鳥時代),奈良・中宮寺
東京国立博物館本館にて3月8日から4月17日まで特別展示。普段は中宮寺にある。

こちらは、サテュロスが作られたおよそ900年後の日本で、聖徳太子の時代に作られた菩薩像である。 菩薩というのは悟りをひらいて仏陀になる前の姿で、仏と人間をつなぐ存在、より親しみやすい存在として仏教美術によく登場する。お寺の中で見てこそ、その雰囲気を最大限に感じることができるのだろうが、東京内で見られるということ、お寺では見られない像の背後にもまわることができたこと、サテュロスを見た印象を新鮮にもったまま見ることができたことがよかった。木彫のもつ有機的なあたたかさ、静かで落ち着いた雰囲気は、場所がどこであれ全く損なわれることはない。

Chugu-ji Seated Bosatsu (Bodhisattva)

菩薩の体の表現自体にはリアルさはない。体は“型”であって、心の中にイメージを広げるヒントのようなものである。しかし顔の表情には一種の具体性があり、それがこの像のもつ説得力の源になっているように思う。その表情に見られる品と静かな落ち着きは、型に力を与え、像に命を与える。この像が呼び起こすのは、見ているうちに体を満たす、静かで落ち着いた温かみのある空気のようなものだ。

それに対して古代ギリシャのサテュロスは、体そのものがなんと具体的だったことだろう。心の中に送り込まれる清らかな空気を体に満たしていくような気持ちで菩薩像を眺めるのとは違って、体の表面がうずくような実感と生命力にあふれたフィジカルな魅力がある。おしりのくぼみから背筋の肉厚なかんじといい、隅々まで具体的なディテールが、菩薩のもつ力とはまた違った説得力と魅力をもって迫ってくるようだった。

Back and details of Satyr

彫刻と向き合うとき、その彫刻と見る人が物質的に同じ空間を共有するため、絵画とは一味違った、よりパーソナルな対話を経験することがある。その存在をよりフィジカルなかたちで感じるので、分かりやすい形で説得力が増すこともあるだろう。菩薩像を見ている人たちが、自然と「お顔が…」「~でいらっしゃる」などと敬語を使っているのに気づくと、宗教心の問題どうこう以前に、彫刻というフォームの効果を感じずにはいられない。この二体の彫刻は、それぞれが見る人に呼び起こすものも表現の関心もまったく異なるが、どちらも見る人を惹きつける独特の力をもっており、印象深い対面となった。

Wednesday, April 6

Emil Nolde (エミール・ノルデ)

画家 [1867-1956],デンマーク

展覧会『色彩と幻想の画家 エミール・ノルデ』(2004年9月18日-11月7日)
東京都庭園美術館にて。

Poster of the Exhibition

この展覧会を見に行ったのは去年の11月1日だから、少し前の話になる。私はそれまでこのノルデという画家のことは少しも知らなかった。分類するとすれば「ドイツ表現主義」に振り分けられることになるのだろう。表現主義というのは、見かけのリアリズムよりも自己の内面の感情を表現することに重きを置く作風のことをいう。その前のフランス革命や産業革命を経て、社会が劇的な変化を体験していた19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパでは、美術の表現においても様々な変化があった。これまでの価値観の崩壊や、第一次世界大戦、疫病や性病の蔓延といった経験も人々の心理に大きな影響を与えていたはずで、死に対する執着的な関心や退廃的なムードが強く見られた時代でもある。理想美やモラルを追求するだけの美術のあり方に飽き足らず、もっと人間の内面を探るような表現を求めていくなかで生まれた動きのひとつが、この表現主義だ。

ノルデの描くものは人、風景、花など色々だが、モチーフは何であれ、その鮮やかな色彩が印象的だ。特に今回の展覧会では水彩の作品が多かったので、透明感のある明るい色であふれていた。ノルデの“表現主義的要素”はこの色彩をもって現れてくる。色はその物の色というだけではなく、ノルデがその対象に感じとったもの、その対象とノルデの感情との呼応が生む色なのである。


"Poppy Flower"

夏の日差しに鮮やかに咲く花々に魅了された経験が、ノルデのとっての色彩の重要さに強く関係しているらしい。透明感のある鮮やかな水彩で描かれた花々には、命の輝きがそのままその色となって現れている。この色の輝きはまさに生命の輝きであり、その体全体でそれを表現している花々はノルデにとってたまらない魅力であったに違いない。ノルデのつかみとった生命の輝きを、彼の絵の中のあふれんばかりの色彩に感じて、花草木を描くことがどんな魅力になりうるのかということに、初めて実感として気づいた気がする。

例えばそれが人物画であっても、ノルデの絵の中で色彩は花々のときと同じように、“生命の色”となっている。描かれた人の存在感が、その人の生命のしるしが、色となってあふれ出てくるようだ。踊る女の燃えるような髪の赤やオレンジが、若い女の放つ黄色い光とその身をつつむ青が、木版画の太い黒のベタさえも、その人間の生命が放つオーラとなって現れてくる。彼の風景画を満たすのも、そんな有機的なオーラ、海の、空気の粒子ひとつひとつがまとう生命のオーラであるように感じる。


"Evening Scene of Northern Friesland"

Tuesday, April 5

Janis rules, man! (Festival Express)

イギリスかぶれの私が、思わずこう叫びたくなってしまうくらい、ジャニスは圧倒的だった。映画『Festival Express』を観たときの話だ。口を開けば「~~, man.」と言いまくるジャニス。Texanアクセントも彼女がしゃべれば最高にかっこよかった。

『Festival Express』
ボブ・スミートン監督(『The Beatles Anthology』),2003年,イギリス=オランダ
シネセゾン渋谷にて。

A Scene from "Festival Express"

ウッドストックの翌年、1970年。ジャニスが死ぬ2ヶ月前。彼女を含め、The Band, Grateful Dead, Buddy Guyといった70年代の音楽史を代表するミュージシャンたちを乗せた貸切電車が、カナダを横断しながら昼も夜もノンストップのジャム&パーティーを繰り広げた。彼らは途中いくつかの場所で電車を降りてミュージック・フェスを行い、そしてまた電車に乗り込む。“We are happy until we stop.” それがFestival Expressだ。

ここに出てくる特定のミュージシャンのファンでなくても、電車の中で皆がいかにも楽しそうに酔っ払ってジャムっている姿は見ているだけで嬉しくなる。The Bandのリックなんかベロベロに酔っている上に、あまりに嬉しすぎて『ギルバート・グレイプ』でレオナルド・ディカプリオが演じた、ちょっと体の不自由な男の子みたいになっている。ほほえましいくらいに素直で無防備で幸せな瞬間。今はもう夢みたいなその瞬間に立ち会えたような、そんな幸せな錯覚をおこした。

この映画を見る前から、ジャニス・ジョプリンのことは60-70sには欠かせない存在として知識としては頭に入っていた。でも自分で聴こうと思って聴いたことはなかったし、心から感動したこともなかった。でも“Cry”の出だしの泣き声みたいな、しかし体の奥底からしぼり出すような力あふれるシャウトが、充分余韻を引いてから一気にはじけたとき、もう、ただただその力強さと繊細さを併せもった声の力に圧倒された。ジャニスは、パワフルで力強くてかっこよく、時には無邪気で本当にかわいらしく、歌う喜びや楽しさに溢れている。同時に、生きている中で感じてきた悲しさや寂しさもまた、彼女の力になっている。歌うことで息をし、命を輝かせているような彼女の姿は鮮烈だった。

ジャニス以外のミュージシャンたちも、もちろんすごい。特にThe Bandの名曲“The Weight”は文句なしに感動的だ。Buddy Guyだって若さにあふれていてエネルギッシュ。(Grateful Deadはちょっと退屈だったけど。)今の私から見ると「この振り付けは本気でやっているのか?」と、かなり笑えるバンドもある。しかし、ジャニスが出てくるとみんなかすんでしまう。この映画は私のジャニスとの出会いとなったから、それだけ彼女の印象が強いということはあるだろう。でもジャニスが “Cry” や “Tell Mama” で見せる圧倒的なパワーと、彼女の歌中のけなげな語りかけには誰もかなわなかった。

映画『Festival Express』のオフィシャルサイト。英語版のほうが映像が多い:
http://www.festivalexpress.com/

日本語版はこちら:
http://www.festivalexpress.jp/

A Film: The Way She Was JANIS (ジャニス)

ハワード・アーク監督,1974年,アメリカ

Janis Joplin [1943-70]

『Festival Express』を見た後さっそくビデオ屋に走って、このジャニスの映画を借りた。インタビューやライヴ映像からなるドキュメンタリーだ。Festival Expressでのステージもいくつか収められている。「やっぱすごいわ…」と、感嘆の連続だった。

インタビューでは、とても楽しいとはいえないハイスクール時代を過ごしたテキサスを思い出すときの表情が印象的だ。そんな過去とはまったくのコントラストにある、自由になったジャニスの今の輝きが際立っている。ソウルの偉大な先人たちの名を挙げながら、「今の私はパワーはあるけど、まだ彼らのようには歌えない。でもそれでも歌い続けていれば、いつか私も彼らみたいに歌えるようになるかもしれない」と謙虚に真摯に語っているのを見ると、夭折したのが本当に惜しまれる。27歳であれだけの存在感を放っていた彼女がさらに熟成したとしたら、いったいどんなすごいシンガーになっていたことだろう。

このフィルムはジャニスのアカペラ、“Mercedes Benz”で幕を開ける。「神様、私にメルセデスベンツを買ってよ」と歌って、ちょっと照れたような嬉しげな笑い声をたてるジャニスに好感がわく。

Monday, April 4

Suite Habana (永遠のハバナ)

フェルナンド・ペレス監督,2003年,キューバ=スペイン
渋谷ユーロスペースにて。

Cinema poster of "Suite Habana"

「1本のフィルムがすり切れるまで上映された…」という、いかにもなキャッチコピーにまんまと引っかかって観にいった。私は本当にこういうアナログ感たっぷりな攻めに弱い。

ハバナ。ヴィム・ヴェンダースの『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』で、生気にあふれる老ミュージシャンたちを通して描かれたノスタルジックな色合いのイメージが、私の唯一といってもいいキューバのイメージだった。あの映画も、ミュージシャンたち一人一人からそれぞれの人生の味が染み出してきているような、人間的な魅力にあふれたいい映画だ。


Cinema Poster of "Buena Vista Social Club"

『永遠のハバナ』も、ハバナという場所で毎日を生きている人々の姿を見つめた映画だ。12人の登場人物の一日が同時進行で描かれている。ナレーションはない。言葉で説明するのではなく、彼らの生活のディテールを目で追い、耳で聞く。ディテールのひとつひとつを丁寧に見つめることで、この映画で描かれた人々の生活にリアリティが出てくる。例えば、父親の食事の準備の手伝いをする男の子が、小さな体に不釣合いに大きなナイフを危なっかしげに使って、ゆっくり丁寧に野菜を刻む。最後まで切り終わって嬉しそうに顔を上げたとき、こういう日常の一つ一つがこの子にとってはまさに生きている毎日の証であることに、それが彼の父親のこのうえない喜びであることに強い実感がわくのだ。町の音、生活の音、音楽、話し声、会話、そして無言。音も彼らの生活の呼吸にあわせて聞こえてくる。じっと見つめているうちに、彼らと同じ空気を呼吸しているような感覚になる。

朽ち果てるままになっているヨーロッパ風の立派な建物の「残骸」とでもいうべき姿は、昔のフランス植民時代の名残が同じようになんの手入れもされない状態で残っているベトナム、ハノイを思わせる。同じようなノスタルジアと、そんなこと気にも留めないかのような人々の生活のエネルギーが、これらの町には共通して映し出されているように感じる。そしてハバナには、革命と自由への戦いへの思いが町に、人に強く染み付いている。町の中に何層にも積み重なって残っている歴史と人々の思い。その中で「今」を生きている人々の生活には、町そのものがめまぐるしく姿を変える東京ではなかなか感じられない、時間を積み重ねてきたハバナという「町」の存在感が常にある。

自分の生活が様々な思いであふれているのと同じように、ハバナの町で生きる一人一人の生活がそれぞれのドラマを持っていることを意識する。そして、町の中で登場人物の一人が別の一人とすれ違うのを見るとき、もう少し大きな視点から、人々の生活がつまっているハバナというひとつの町を意識する。この映画の視点は、パーソナルなレベルとコミューナルなレベルとを自然に行き来しながら、重層的に様々なレベルで共感をさそう。町とそこに住む人々を描いた映画は多々あるが、この映画は「場所としてのハバナ」「個人にとってのハバナ」、どちらの要素にも偏りすぎることなく、実にうまく自然に「人々の生きる場所、ハバナ」を描いていると思う。

ハバナという町の中に、自分のそれとは形や環境は違うながらも、同じように一日一日を生きる人々の毎日がある。気づいてみればシンプルで当たり前なその事実を、親しみと実感をもって描き出したこの映画は、とても印象深いものだった。見終わって2日たった今でも、ふとした瞬間に映画に出てきた誰かの一日の、何気ない一場面が頭をよぎることがある。彼らの毎日の嬉しさ、悲しさといったものが、一番パーソナルで基本的なところで自分と触れ合うような気がする、そんな特別な思いを感じさせる作品だ。

映画『永遠のハバナ』オフィシャルサイト:
http://www.action-inc.co.jp/suitehabana/

Sunday, April 3

Dans la Chambre de Bavardage

映画、美術、本、音楽。他のあらゆるものがそうであるように、こういったものは世界を覗き見る「窓」のようなものだ。実際に出かけていって人と会うことで世界を知ることもできるが、これらの「作品」を通してみる世界は、誰かの内面を通して世界を見るという、また違った特別な経験となる。このような経験には、世界を自分の足で旅をして得る実感とは違うレベルでのリアリティがある。私にとっては映画や音楽や美術や本が、常に大きな影響力をもって自分と世界を結び付け、また、自分の世界を広げてきた。日本で、世界で出会った友人たちとも、実際に分かち合った経験とはまた別のところでつながっているような気がすることがあるが、それはこれらの「窓」から覗いた経験が自分の中に生きているからなのだと思う。

"おしゃべりの部屋"にたくさんの窓を。To breathe in the world. 世界中の空気をここで呼吸するために。。